日工会 石丸雍二新専務理事に聞く

本年12月に日本工作機械工業会の新専務理事に就任した石丸雍二氏。
昭和45年に通商産業省(現経済産業省)に入省後、産業にかかわる数々の仕事をこなしてきた。

石丸専務理事が入省後に担当した仕事は、機械産業の振興と中小企業の設備の近代化。当時の中小企業が高価な機械を購入しやすくするのが目的である。機械が売れれば機械振興にもなる。この2つの目的があった。

「中小企業は月賦やリースで設備投資をしますが、経営が絶対にうまくいくとは言い切れません。中には倒産する会社もあります。するとメーカーは代金を泣かなければならないので、その半分を国が面倒を見る仕組みだった」と石丸専務理事。

当時はベンチャー企業という言葉自体が普及していない時代。新しい研究開発型企業に対する社会の目はまだまだ厳しいところだろうが、幅広い可能性を秘めているベンチャー企業の資金調達のための債務保証なども注力し、企業の創出や中小企業が持つ可能性を支援していた。

平成元年には、世界4大研究所のひとつであるロンドンの法律国際問題研究所で外務研修に参加。その後、ジュネーブで3年過ごし、各国との交渉を随分学んだという。ちなみに、この間に知り合った方々との交流は、現在も続いているそうである。

現役時代に中小企業白書と通商白書の2つを担当したこともある。
「担当していて感じたことですが、華やかな通商白書に比べ、中小企業白書は難しい部分があります。中業企業白書は国会提出白書であり、“中小企業基本法”にもとづく白書なのです。したがって中小企業白書は国会に提出すると法律と同じ手続きをしなければなりません。通商白書のように閣議に出したら終わりではなく、国会で了承されなければいけないのです」(石丸専務理事)

たしかに中小企業というとなんとなくデリケートなイメージがある。職種も多様であるうえ、書き方ひとつで予算に影響してしまう。
貴重な中小企業白書と通商白書の2つを担当した方というのもそう滅多にいないだろう。

時代の節目という巡り合わせ

12年前に特許庁を退官したあとは、長年培われたキャリアもあってか「どうしても民間の製造業に行きたかった」と話す。
その後、国民生活金融公庫・理事を経て富士重工の海外営業に携わり、アジアや大洋州を担当。スバルにとってオーストラリアは大きな市場でありやりがいがあった。また、知財を扱う法務も担当した。いずれも過去の経験が活かされた。

「当時、世間では青色発光ダイオード発明の対価を巡り問題提議がなされており、職務発明の帰属先について産業界ではかなり議論がなされたと思います。また、環境問題には相当気を使いました。土壌汚染などはないかトイレからなにからなにまで神経を使いましたが、当時の設備を知るいい機会になり勉強させてもらいました。仕事とのめぐり合わせが時代の節目に当たり、貴重な良い経験をしたと思っています」(石丸専務理事)

国民生活金融公庫ではシステムを担当し、ちょうど2000年問題に当たった。富士重工の法務担当時代は、“職務発明の帰属先”という産業界が考えなければならない大きな問題提起があった。個人の発明は企業の競争力を左右する大きな力となり、特許権の帰属の問題や権利譲渡の対価等など、“企業の知的財産問題”を真剣に考える時代がやって来たのだ。

時代の節目という巡り合わせで仕事をしてきたと振り返る石丸専務理事だが、来年は日工会も60周年に当たる。これまた良い巡りあわせであろう。

最後に、「工作機械はものをつくる基本であり、縁の下の力持ちですが、一般的に認識が浅いのが残念です。今後は未来を担う子供たちにも分かりやすく理解が深まればいいですね。われわれは正確な情報を提供する役目があります。職員の総合力が発揮できる職場環境をつくり、会員企業のお役に立てる仕事がしたい」としめくくった。

●プロフィール

石丸雍二(いしまるようじ) 昭和22年11月29日生まれ。東京大学法学部卒。

昭和 45年 4月 通商産業省入省、大臣官房審議官、通商政策局国際経済部長を経て平成10年 退官、その後、国民生活金融公庫理事、富士重工常務執行役員等を歴任し、平成22年7月 日本工作機械工業会顧問、同年12月 同専務理事に就任。趣味は油絵。

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