○○女子ってなんだ!? 

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私は女性だが長くこの製造業界に身を置いている。今もそうだが、当時もほとんど活躍している女性はいなかった。

―――が、厳密にいえば“目立つ場所にいない”・・・といったところだろう。産業を扱う記者はもちろん、企業では営業、技術者で活躍する女性が少ないというのが正しい表現だと思っている。それもそのはず、男女均等雇用法が施行されたのは1986年。日本は先進国でありながら26年前までは、性別を理由に賃金の不平等があって当たり前だったのだ。

私が○○女子という取り組みや名称を嫌悪する理由のひとつに、まず性を全面にあげることがある。このご時世、グローバル化が当たり前の世の中にあって、厳しいビジネス環境に、「女子だから頑張っている」はすでに通用しない。

女子力(じょしりょく)という言葉が流行っているが、使っていい時と場合があると思う。ビジネスの世界においても言葉にTPOの概念を持ってもいいのではないか。本質的に仕事に問われるのは女子力じゃなく、“人間力”だろうが。

一方、家族で営んでいる町工場では、娘さんやお母さん、お婆さんまでが手伝ったり働いたりしていている。「女性なのにどうして現場で働かなくちゃいけないの?」なんて言わない。当たり前のように昔から加工現場でバリを取ったり加工のお手伝いをしている女性だって多く存在するのだ。このように三度の食事の支度をしながら油まみれで働いている母ちゃんに対して、誰も「頑張る☆加工女子」とは言わない不思議。それこそ、もっと称賛すべきであろう。

女子という言葉には、女の子、娘という意味合いがあり、“保護”のイメージがある。つまり、○○女子という言葉には、女性は保護の対象である・・・という概念が前提にあるから出てくる言葉であって、この表現に古めかしい昔の日本をそのまま引きずっている臭いをプーンと感じ取ってしまうのだ。したがって○○女子という無造作な言葉の使い方に私は絶望すら覚える。このご時世、仕事に必要なのは何度でもいうが、性の力ではない。人間力だ。

女性は男性に比べ力仕事に限界があるし、身体の構造がそもそも違うのだから、男女は比較の対象にもならない。さらに社会は様々な年齢層で構成されており、ライフスタイルも多様化している。この21世紀において、性別や年齢を理由に余計な先入観など抱く必要もないのだ。若者だけがチャレンジできる、頑張れる特権があるように思いこんでいるのであれば、それは偏見であり、偏見に満ちたマジョリティを正しいものと認識する社会に危機感を覚えている。元気のよい高齢者が日本で培った技術を持ってどんどん海外に流出してしまった問題を忘れてはいけない。

現在、世界がものすごい勢いで変化をしている。日本がグローバル化の波にさらされながらこの厳しい環境で生き残っていくためにも、これらの無意識なる偏見を今一度見つめ直して欲しいと願う。

私ごとで恐縮だが、過去に仕事がうまくいくと「女だからできたんだ」と言われたことが多々あった。その都度、眉毛をつり上げ、こう言い返してきた。
「女だからじゃありません。私だからできたんです」と。

誤解を招かぬよう加えておくと、プライベートに関しては、いつまでも保護の対象として猫のようにぬくぬくしていたい願望がある。