旭日中綬章授与の上田勝弘 大垣精工社長 祝賀会で380人が祝う
今回、大垣精工並びにセイコーハイテックの記念事業として大垣市民会館大ホールで前川清&クールファイブのコンサートが開かれた。
市民ホールを埋め尽くした観客を前に、「長崎は今日も雨だった」や「中の島ブルース」などの昭和の名曲で湧き上がる中、途中で上田氏も壇上に上がり得意の歌声を披露し、コンサートは大いに盛り上がった。
祝賀会の会場である大垣フォーラムホテルでの祝賀会では、冒頭、前川清氏がお祝いの言葉を述べあと、発起人代表として今川喜章丸順社長があいさつした。この中で今川社長は、「長年にわたり日本金型工業会の会長を務められ、金型工業の発展に寄与されました。日本の金型産業や鉄鋼業を営むわれわれ関係者にとっても地元の大垣市民にとっても誠に喜ばしいことです。ただいま日本の金型産業は急速に競争力を失いつつある中で、上田氏は正しいと信じたら相手が誰であろうと言うべきことは言う、やるべきことを果敢に行動するということを実践され、日本金型工業会そのものの機構改革も成し遂げられました」と紹介したあと、棚橋泰文衆議院議員、小川敏大垣市長、猫田孝岐阜県議会議員がそれぞれお祝いの言葉を述べた。金型工業会を代表して日本金型工業会国際委員長の伊藤澄夫伊藤製作所社長があいさつした。
大垣精工 伊富貴 正専務取締役から記念品が、社員から花束や杖がそれぞれ贈られた。
上田社長は、「人生転ばぬ先の杖ということで20年は使わせていただきます」と絶妙なトークで返したあと、「人生は運命的なこともあり、与えられた命を存分に余生に捧げていきたいと思っています。今から45年前、この会社を設立したときに社名をどうするか、ということが議論になりましたが、大垣という名前を拝命しようということになり、今日の大垣精工に至っております。大垣という地名を拝借する以上は大垣の名に恥じないよう頑張ってきました。人生はプロローグよりエピローグ、前半戦より後半戦が大切。与えられた人生は愉快にユーモアを持って人とともに人生を楽しんでいきたいと思っています」とあいさつをした。
■上田勝弘 プロフィール
1961年3月、立命館大学法学部卒業後、大垣市内の会社に入社したあと、1968年に大垣精工株式会社を設立、代表取締役に就任。1984年、セイコーハイテックを設立、代表取締役に就任し現在に至る。
現在の公職>
(一社)日本金型工業会 名誉会長
日本金型工業厚生年金基金 理事長
(一社)日韓経済協会 副会長
(一財)日韓産業技術協力財団 副理事長
岐阜県金型工業組合 副理事長
公正取引委員会下請取引改善協力委員
国立ソウル科学技術大学 金型工学科 名誉工学博士教授
柳韓大学 金型設計科 客員教授
公州大学 客員教授
京畿科学技術大学 客員教授
関連会社>
(株)新韓技術センター(韓国富川市)
K.Bメタル(株)(韓国大邱市)
賞罰>
2005年 6月 公正取引委員会委員長表彰
2005年11月 韓国大統領表彰受賞(人材交流永年の貢献)
2013年 5月 旭日中綬章授与
趣味>
囲碁、古跡探訪