三途大橋からの生還

実は、わたくしこのほど三途大橋からショボショボと生還して参りました。

病名は女性の4人に1人はかかっているといわれているポピュラーな子宮筋腫の中でも、やっかいな粘膜下筋腫。おそらく、皆様の職場でも同じ病気で苦しんでいる女性がいるかもしれません。

この手の病はポピュラーな病気でありながら、その実、なかなか周囲に言いづらい。生きている限り、病気のリスクはどんな人にでも当てはまるのですが、女性特有の苦しみは周囲に説明しづらいこともあり、理解を求めるにも環境によっては難しいでしょう。この貴重な体験もさながら、厳しい現代において働く女性が直面する困り事のひとつを、少しでも理解していただければ、と思い文字にすることにしました。

だってワタクシ、いつでも働く女性と頑張るオヤジの味方ですもん☆ 

どんなに症状がきつくても周囲に言いにくい女性特有の病

業務上、外出が多いうえ、出張も多いので、女性特有のアノ日は本当に参っていた。
カメラ仕事のときは、荷物も多く、トイレに不自由する。パンツスタイルだと、新幹線の中の男女共同トイレで殿方のエラーが飛散した汚い床にパンツの裾が付かないよう注意を払いながら用を足すのはまだヨシとして(本音はちっともよくないけれど)、支度をするときに間に合わず、衣類に血液が付着するということもあるくらいの大量出血に悩まされていた。しかも下腹部と頭が痛いというオマケ付き。鎮痛剤が欠かせない。頭もボーッとする。

症状の大小はあるものの、世の女性たちは、生理に振り回されながら着るものやスケジュールを考えるうえ、生理によって制限されることが多いのよね。

私の若い頃は、時代もあいまって、ちょっとでもミスをしたりすると、「生理じゃないのか、ヒヒヒ」と冷やかされ、怒ると「今日は生理だから機嫌が悪いんだ」と下品でシャレにならない言葉を浴びせられた。今では考えられないことだ。現代においてもやっぱり女性特有の症状は言いにくい。おそらく子宮=シモと連想しちゃうからなんだろうな。

わたしはもともと筋腫をもっている。この件について7~8年前の医師の話では、様子をみても問題がないとのことだった。その後、近所のレディースクリニックで診察をしてくれた医師も同意見だった。昨年から、周期も早まってきたのが気になってはいたものの、これは年齢的なもの、すなわち中年だから、と勝手に思い込んでいた。

ところがビックリするほどの大量出血を1カ月に3度も経験し、さすがに病院で診察を受けることにした。

緊急事態に手術を決める

都内にある大きな病院へ行った。
子宮筋腫が原因だったが、今回はいつものような説明ではなかった。

診察を終えると、医師はわたしにこう告げた。
「粘膜下筋腫ですね。これは他の筋腫と違います。放って置いても良いことはありません。出来ているところが悪い。大出血はコイツが悪さをしている可能性があります。手術をして取ったほうが良いでしょう」。

手術、の言葉に一瞬ブルンと身体が震え上がる。

粘膜下筋腫のやっかいなところは、大量出血からの貧血。貧血は心臓に負担もかかるし、大出血をした場合、輸血が必要になることもあるという深刻な事態を引き起こすからだ。

モノクロのエコー写真をみながら説明を聞く。
なんと、赤ちゃんが育つ場所の子宮内には受精卵が着床したかのごとく、命を持たない肉塊が存在を示しているではないか!

手術は痛いのだろうか。いやだ。何日かかるのだろう。いやだ。休める日はいつか。いやだ。手術したくない。いやだ、いやだ、いやだ。ああ逃げ出したい!!!

子どものようにだだっ子になりたい心境だったけれど、己商売は身体が資本。子宮鏡手術の説明を受けた。この手術は入院も数日で良いらしく、肉体へのダメージが少ないという。「すぐに復活できますよ」の説明に、温泉旅行をしたと思えば良い、と自分に言い聞かせたけれど、手術の恐ろしさを思うと、ずーん、と気分が沈む。

ところが、そうもいっていられない事態が発生した。
女性の日を迎えていたわたし。この日は1日中取材があった。夜は以前から約束していた食事会。話に花が咲く。

ドボッという感覚が伝わり、慌ててトイレに行くと、あれだけ大判ナプキンでガードしていたのに、下半身が血まみれ! ズボンが血で染まってしまった。下半身が水浸しのような感じ。慌ててジャケットで下半身を隠し、もっと会話を楽しみたかったけれど、タクシーに乗り込み、そそくさと家に帰ったわたし。

タクシーの中でもドロドロと流れ出るものを感じる。タクシーを汚さないようにジャケットでお尻をガード。このジャケット、気に入っていたんだけれどなあ。すぐに洗濯したら血液は染みにならないかな。とぼんやり考えている間も流れ出る生ぬるい血液を抑えきれずにいた。ものすごく気持ちが悪かった。これが新幹線の中でなくて良かった。

家に到着したものの血だらけの洋服のまま部屋に上がるのは気が引けたので、玄関でズボンを脱いだところ、ズボンは血で染まって真っ赤っか。脱いでいる最中も出るわ、出るわ。

――――本当にヤバイ―――これって出血死レベルかもしれない・・・・と危機を感じた。あまりの出血量に自分自身が驚いてしまって、何度も気が遠くなり、服を脱ぐ力もなくなって玄関先で横たわってしまった。玄関はマグロの解体ショーそっくりの様だ。あぁ、誰かタスケテ・・・。この時、緊急で開いている病院にかけこみ、手当をしてもらった。

救急病院から出ると外は暗いがあと2時間もすれば起床しなければならない時間だ。今日も仕事がつまっている。こんなことでは仕事に支障が出るのは目に見えており、わたしは手術の覚悟を決め、次の診療時、担当医師に手術の意向を示した。

初めての全身麻酔

スペースが微妙で「生女」と書かれているみたい。流通する食材のようだ。
スペースが微妙で「生女」と書かれているみたい。流通する食材のようだ。
手術前にはMRIだの血液検査だの様々な検査を行った。
嫌な体重も測定した。年末年始の暴飲暴食の結果が如実に数値に表れている。4kgも増加しているではないか。

暴飲暴食が続いたとはいえ、γ―GTPが異常値を示さなかったのは意外だった。なんという強靱な肝臓なのだと自分でも驚く。

担当医師と相談の末、予定していた子宮鏡下手術に決めた。この医師は子宮鏡下手術の腕が良いと評判なので安心だ。日程を決め、バタバタと業務をこなして入院手続きをとった。ほんと、毒女・・・じゃない仕事持ちの独女って、こういうとき手続きが大変なのよね。やっぱり年老いてはいるものの身内はありがたい。

実はビビリのわたし。土壇場で怖くてメソメソ泣いていると、「どんなに悩んでも、その悩みになんらメリットが見いだせないのなら、なにも考えないのが1番だ」と言われた。それもそうだな(←単純)、あれこれ悩み抜いても不安だらけの嫌な思いをするだけなので、別のことを考えよう。この際、思い切り寝てやろう、と思った。少しは痩せられるだろう。

手術前。腹をくくりました☆
手術前。腹をくくりました☆
病室はものすごく快適だった。上げ膳据え膳のうえ、ゆっくりできる。手術までは食事に制限があるものの時間があるので、ここぞとばかり乾きがちだった顔面にパックをしたり、マッサージをしたり、とまぁ、これでもかというくらい念入りにお手入れをして、あとは爆睡。久しぶりだな、こんなに寝たの・・・というくらい寝るわ、寝るわ。手術前日は21時以降食事を取れないので貪るように睡眠をとった。

手術当日は朝から脱水症状を避けるため点滴を打つ。手術前のちょっと痛い処置をした後、ベッドの中でうとうとしていると麻酔医がやって来た。全身麻酔の説明を受けた数時間後、看護師さん2人がお迎えに来てくれて、寝ているベッドごとエレベータに乗りいざ手術室へレッツラGO。

身内とのしばしのお別れも案外あっさりしたもんで、こうした場面ではテレビドラマでは、手を握り合って「頑張って! しっかり!」とか、あわよくば「快気祝いになにが食べたい? いいもの食べさせてあげる」みたいなドラマティックな展開を期待していたのだけど、あれよあれよという流れに押され、拍子抜けしてしまった。せめて弱っていることをアピールして同情を誘い、普段は滅多に食べられない高級フレンチでも食べさせて貰う約束を取り付ければ良かった。

この扉の向こうに未知の世界が待っている。心臓がブンブンいうのを抑えられない。
この扉の向こうに未知の世界が待っている。心臓がブンブンいうのを抑えられない。
手術室入口と書かれた扉が見えた。
肉体を仮死に近い状態にさせる全身麻酔の恐怖に心臓がブンブンいうのが分かる。緊張を察して看護師がわたしの手をさすってくれた。手早く、心電図やらなんやら取り付ける様子は、いやおうなしに手術気分を盛り上げる。この後、わたしの筋肉は止まり、自発呼吸もできなくなるのだ。恐ろしいこっちゃ。

もし手術が失敗して死んでしまったらどうしよう・・・。
ああそうだ! 中学生の頃の書いた恥ずかしい日記はどこに仕舞い込んだっけ? あいつを処分しなければ死にきれない!!!!!

若い頃、死んでしまいたい、と思ったことが何度かあった。
でも、大人になった今は違う。あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい~、とブルーハーツの歌詞にあるような心境なのだ。なんとまぁ、欲どおしい中年に成長したことか。

「濃度の濃い酸素を送りますね~」と言われる。呼吸をしていると意識がボーッとなる。

「いま、薬は入っていますか?」と聞くと、「まだ入ってませんよ~」の声。

このとき、仮死状態の前にある意識を確認したい衝動に駆られてしまった。どんな感じで意識は落ちるのだろう。擬似の死亡前体験ができる滅多にないチャンスになんとか最後の最後まで脳を覚醒させようと試みたところ、ふと現実的なことを考えてしまう。

(ハッ! 白目を剥いたまま仮死状態になってはいけない!!!)。

急に自分が死ぬときの表情はどんなもんか、と気になりだしたのだ。どうせなら笑顔のほうがいい(←昭和の漫画にあるような幸薄い美少女が、美しい思い出を胸にして息を引き取る場面をイメージしている)。慌てて目を閉じ、過去の面白かった記憶を引っ張り出した。20代前半の頃、都内の某駅前で、友人たちがした一発芸の「活きの良い鮭の真似」を思い出した。2人に横向きに抱きかかえられて、1人がピチピチと身体を揺さぶる様はまるで鮭そのもの。あれは笑えたなあ。

「は~い、お薬入れましたよ~ゆっくり呼吸をしてくださいね」との指示を受けたその数秒後、おそらく思い出し笑いのニヤニヤ顔のまま、ブラックアウトした(と思われる)。

生還ホヤホヤ。
生還ホヤホヤ。
――――名前を呼ばれたと思った。
あれ? あれ? 目が覚めているのに、身体が動かないぞ! 金縛りだ! と一瞬パニックになったものの、すぐに肉体も脳の覚醒を追うように目覚めた。まるでパソコンのスイッチを入れるみたいな目覚めだ。声を出そうにも、気管内挿管をされていて声が出なかったけれど、すぐに取ってもらえた。ふぅ~~。心配していたオエッとなる現象はなかった。

回復室でしばらく様子を見られた後、病室に戻った。酸素マスクはつけたまま。2時間は外せないと聞いた。うとうとしているのち、尿意のお陰でさらなる目覚めを確信するわたし。最初はトイレにいくのもフラフラするので看護師さんが付いているとのことだったけれど、生まれたての子鹿のようにはならず、元気にスタスタと歩けましたよ。やっぱりわたしは元気だわ。というより、元気でいられるのは医師たちの腕がなせる技だ。ありがとう先生たち。

覚醒! 化粧がないと顔から攻撃性が失われ、気の弱い少年のよう。どうみても健康のために酸素吸入をしているようにしか見えないというオチ。
覚醒! 化粧がないと顔から攻撃性が失われ、気の弱い少年のよう。どうみても健康のために酸素吸入をしているようにしか見えないというオチ。
その後、外からは傷が見えないのだけど、ほとんど痛みもない。数日安静にしていたのち、すでに元気に回復している。術後は階段等やしゃがんで立ち上がる時に若干ズキンと筋肉痛に似た痛みがあったけれど、それも日を追うごとになくなった。走ることもできる。

なので、出血多量で苦しんでいる女性の方がいらっしゃったら、まずは病院に行って先生に相談を! 

女性の1/4は子宮筋腫持ちといわれています。出血多量や強烈な下腹部痛、吐き気、頭痛、腰痛に悩んでいる女性が大勢いると思われます。

女性の社会進出も本格化はしたものの、まだまだ社会風土が付いていかない現状があります。また、女性に限らず、病気のリスクは誰もが抱えることでしょう。家族全員が病気もなしに健康でいられるのはキセキです。ほとんどなんらかの悩みを抱えている。

「働きやすさ」を求めている昨今ではありますが、プレミアムフライデーのように判で押した休暇よりも、経営者を含め働く皆様の様々なライフイベントに、プライバシーの配慮をしながら対応できる風土をつくることが、働きやすい環境づくりへの近道になるのではないでしょうか。