「確かなもの・間違いのないものをつくる」 親子3人で顧客の要望を形に変えるカシワミルボーラ
国内製造業を取り巻く環境は2008年のリーマンショック以降、“円高”、“法人税”、“労働コスト”、“環境制約”、“交易条件”、“電力供給制約”といった問題に直面し、産業の空洞化なども懸念されている。海外に目を向けても世界企業が成長著しい新興国市場を狙い熾烈な競争を展開しているのが現状だ。多くの中小企業が存在する国内市場は過当競争を強いられており、鋳造や金型といった素形材産業の利益率をみても他の産業に比べ非常に低いことも問題である。
このような厳しい環境下でも、「確かなもの、間違いのないものをつくる」ことをポリシーに掲げ、親子3人で奮闘している町工場があった。
「お客様の要望を形に変えてゆく。それが仕事です。加工に妥協はありません」と力強く語るのはカシワミルボーラ(東京都大田区東糀谷5-8-2)の柏 良光社長だ。
カシワミルボーラは良光社長、実父の春光会長、社長の実弟で政光工場長の親子3人が切り盛りしている。たった3人の町工場だが、ステンレス、アルミの量産加工、試作品、高速穴あけ加工、高速3D加工、意匠面のある金型部品加工を得意とし、周囲の評価も高い。
“確かなもの・間違いのないものをつくる”ための主要設備も優れている。主な設備を紹介すると、牧野フライス「V33」(立形マシニングセンタ)が金型意匠面など滑らかな自由曲面の削り出しや、最小分解能1/10000ミリ制御で高精度な微細加工に威力を発揮、高い精度が求められる加工を担当している。機敏な動きが要求される量産部品を担当しているのはブラザー「TC22B-O」(立形マシニングセンタ)だ。早送り(70m/分)、素早いツール交換が特長。高圧クーラント&オイルホールによる高速穴あけ加工に威力を発揮し、「稼がせてもらっています。現在、産業用ロボットの部品をつくっているんですよ」と柏社長。
BT50主軸でパワフルな加工を担当するのは東芝機械「VMC650」(立形マシニングセンタ)だ。ベースプレートなどの大型ワークを担当している。
右:牧野フライス「V33」 左:ブラザー「TC22B-O」
工場存亡の危機を乗り越えて見えたものは家族の絆
カシワミルボーラは父の春光会長が1985年に大田区大森に個人事業所として創業した。1995年、現在の東糀谷に移転したところで会社組織(有)カシワミルボーラに改変し、現在に至っている。春光会長が工場を立ち上げたとき、良光社長は高校生だった。
「父が子供に託すことを前提としていたので将来は工場を継ぐことしか選択はなかったけれど、やってみたら非常に面白い世界だった。周囲に恵まれ人の縁もあった」(良光社長)
ところが順調だったはずの工場経営に暗い影が忍び寄る。2008年、リーマン・ショックに端を発した世界同時不況がカシワミルボーラを存亡の危機に陥れたのだ。
政光工場長は当時を「この時は本当に困りました。受注は激減し、操業しているだけでもお金が流れて行くのですから、それはもう大変な非常事態でした。何度も“もうやっていけない。工場を閉めよう”と悩みました。だけど、父は会社を創業した思い入れもあるのでしょう。
“運転資金を確保してもやり続ける”という強い意志がありました。この強い意志のもと、家族が一丸となって“よしやろう! 頑張ろう!”と結束を固めました。やると決めたのですから前を向いて進むしかありません。あの時、工場を閉めなくて本当に良かったと思っています」と振り返る。
現在春光会長は陰の裏番長のごとくパソコンを使い経理を担っている。外商は良光社長が担当。 もちろん加工に妥協がないカシワミルボーラに来る仕事は精密なものから量産品、大物まで幅広いが、特に思い出のあった加工を尋ねてみた。
「微細加工の導光板ですね。金属のところにニッケルリンメッキを塗りました。これは超硬でやっても光沢感が出なくていろいろ工夫して試したんですよ。お陰でお金にはなりませんでしたが、良いものが出来ました(笑)」(良光社長)
この赤丸で囲ったところを拡大すると・・・触ったくらいじゃ段差は分からない
最良の加工法をもってユーザーニーズに応える
「マシンやツールにこだわりがある」と話す良光社長だが、購入する際には悩んだという。「なんせ良いマシンは高価です。きちんとした主軸のものを買わなければならない。高速切削を分かっている牧野フライスさんの機械と出会ったのが10年ほど前のJIMTOFの時だった。一目惚れでしたが、高価な機械というイメージがあってパンフレットを貰っただけで諦めていたんです。ところが、JIMTOFが終わった頃、営業担当者がすぐにうちへやって来た。素早いタイミングでしたね。「V33」が来るまでは、加工方法は分かっているのに肝心のマシンが追い付いていかない、機械がないからできない・・・というジレンマと戦っていましたが、購入したお陰で悩みが払拭できました」という。 さすがは工作機械の営業マンである。素早い行動が受注に結び付いたわけだが、このように“売る”という観点からみると、町工場の場合、自慢したい加工品に秘密事項が多くてPRが難しいとされている。良光社長がこだわる加工面は、びびり痕、擦り傷、打痕などを抑える最適なカッターパスで最良な加工方法をもって顧客のニーズに対応しているが、さらなる顧客満足度を高めるため、“おおたグループネットワーク”に賛同している。この活動は、大田区を中心として京浜エリアの中小ものづくり企業が本格的に連携を試みる新しい機会であり、製造に関して困っているユーザーの力強い味方になっている。
新技術へのチャレンジに果敢に挑む親子二代、兄弟連携に家族の絆を見た!
さて、春光会長はただいま70歳。大きな子供たちが整理整頓をしくじると激を飛ばすという。健康の秘訣を尋ねるとフグ釣りと車が趣味だとのこと。税金を安くするため軽自動車を愛用していたのだが、良光社長によると「以前は軽自動車に乗っていたんですが、最近、車が欲しいといい出した。“じゃあ低燃費のプリウスにしなよ”といったら、“次は霊柩車かもしれないから一度でいいからスポーツカーに乗りたい”とのことで、国産のスポーツカーを購入しました。実はね、親父と同年代の仲間たちが良い車に乗っていたのに、今まで好きな車も買えずにずっと仕事一筋でやってきたんですよね。本当にこれが最後のチャンスと思ったんでしょうね。それにしてもこのような車が欲しかったとは意外でした」と笑う。熟練技の継承が難しいとされているが、新技術へのチャレンジに果敢に挑む親子二代、兄弟連携に、今、日本人が忘れかけている家族の絆をみることができた。
少子高齢化が進んでいる現代において、社会構造の変化を前向きにとらえ、既存の概念にとらわれることなく国内にある潜在需要を掘り起こしていく姿が印象的なカシワミルボーラは、妥協のない加工っぷりでユーザーニーズに応えてくれる安心の町工場だ。