ダイバーシティの時代に逆行した記事が量産されている
某検索サイトのニュース記事の中に「ドン引き・・・おばさんに見られる人の共通点8つ」――――の見出とともに、「周囲からおばさん扱いされる女性には、いくつかの共通点があります。」「いつまでも魅力的な女性であり続けるためのヒントとして、おばさん化を回避するコツも紹介します!」とあった。
「おばさんに見えないコツを紹介します!」ってあーた、おばさんはおばさんなのよ。おばさんに見えたっていいじゃない。おばさんに見えてなにが悪いのさ。(なお、この記事は、姪っ子・甥っ子から〝叔母さん〟と呼ばれることについては含みません)。
まず、おじさん、おばさんの定義ってなんだ? って考えたことがあるのかしらん? 一般的にはアラフォーあたりからそう言われる年齢にさしかかると思われるわよね。ということは、おばさんは、年齢を重ねた女性を指す言葉にあたるわけで、年齢を重ねた女性に対し、〝ドン引き〟のタイトルはいかがなものか。
記事の内容では、「『おばさん』認定されてしまう人の共通点を『外見』と『言動』の両面からチェックしていきましょう・・・・」と偉そうに記述していたけれど、それには、「毎日同じような服を着ている人。」――――と示されていた。なんでも、〝ファッションへの興味を失った人に認定されてしまいがちだから、お気に入りのアイテムがあればイロチ(注:色違いの略)で着回すのもおしゃれ感が演出できる〟――――らしい。
なにを言ってるのよ。おばさんにさしかかった年代の人はさ、お気に入りのアイテムを色違いでも買える経済力のある方や仕事でお洒落をしなければならない女性はともかく、時間や子育てに追われてお洒落をしている時間の確保が難しい方も多いと思うのよ。どんな服を着ようが、他人様の生活に介入してくるような言動こそ、電車の中で人々が座っている座席にむりやりお尻をネジ入れて座り込むことができるほど図太い神経の持ち主のようで、如何なものかと思うわよ。
同じような服を着ている人は老若男女問わず、一定数いると思うし、おばさんだけがそうするとは限らない。同じような服を着ていてもお洒落に見える人もいるわよね。特定の制服を毎日のように着用した妙齢の方でもステキな人はステキなのよ。
ダイバーシティの時代にセンスのない見出し
他にも「時代遅れのヘアメイク」の指摘があり、ハッキリと「古くさい」と書かれてたけどさ、これもねえ、別にいいじゃないの。わたしなんてずーっと変わってないわよ。いや、もっというなら、成人して2度ほどショートにしたけれど、ここ15年以上は今のまま。時々アレンジを楽しんでるくらい。もっというなら、わたしが世間に古くさい印象を与えても、他人はまったく困らないわけよ。問題がないのに「へー、ずっと同じなんですね。ヘアスタイルが変わってないなんて、古くさいおばさんね。」なんて言われたら、気分が悪いわ! それにだな、ご丁寧にも「まずはどんなに忙しくても、美容院へ通う時間は死守しましょう。」とあったけれど、多忙で仕事に邁進している中年女性がたまたま美容院に行けなかったとき、それが原因で、見出しにもあったような〝ドン引き〟される世の中だったら、日本も終わってるわい。
他にも、「他人の悪口や噂話は、『下世話』『人の不幸が大好き』『自分のことを棚に上げている』点がおばさん認定の要因になります。」とあったけれど、これは人間性の問題で、おばさんに限らずだ。この記事こそ、下世話な話満載で自分のことを棚に上げてはいないかと疑わしいわよ。カフェで独り、静かに休憩をとってると、それこそ中年でも若くても悪口に花が咲いてやかましいのは嫌というほど遭遇しているし、問題は人物の性質であって、年齢から来るものではないわい。年齢を重ねた女性に対して〝下世話〟〝人の不幸が大好き〟、〝自分のことを棚に上げている〟とディスっているこの記事自体、悪口じゃないのか。性格の悪いやっちゃ。
「もしもおばさん認定されている不安があるのなら、ファッションや肌の手入れ・TPOをわきまえた振る舞い方など、日常生活の中で意識することから始めましょう。」――――と富士山のてっぺんよりも上から目線で記されていたけれど、年齢を重ねた女性は、社会通念上、おばさんなのよ。不安でもなんでもないの。それよりも、中年女性という画一化した枠をつくり、その中で蔑んで、不安を煽っているのは誰なんだよ。書いていて恥ずかしくないのか。
今の世の中、ダイバーシティ(多様性)の時代だぞ。日本は現在、少子高齢化、労働人口の減少に加え、グローバル化が加速しているので、企業も成長戦略の一環としてダイバーシティの取り組みを進めているというのに、こうした年齢による差別意識は昭和の産物そのもの。それこそ「古くさい」と指摘してやろう。どんな年代でも経験の違うお互いが刺激し合いば、より良い社会を構築できるチャンスが広がるってのに、わざわざ未熟な思い込みでぶち壊すこともなかろう。
そもそも他人は自分が一番見て欲しいところを見てはいない
どんな人になりたいのかってのは、人それぞれだし、ファッションセンスもそれぞれ。そもそも他人は自分が思っている以上に自分に注目してはいないものよ。もし、自分のことをみんなが注目しているし・・・と他人の目ばかり気にしているとしたら、それは自信過剰というもの。髪型も服装も自分の好きにしたらいいと思うのよ。仕事で自由に出来ない方なら休日に出来る範囲で思いっきり楽しめばいい。人の目や年齢を理由に自分が望む生活を楽しめないとしたならもったいないわ!
中年女性を画一化し、見た目と振る舞いを悪とする、その理由が本当に中年女性特有のものなのかどうか、しっかり考えてから記事にして欲しいわよね。薄っぺらく中年女性をディスる記事を書いているライターがお肌もピカピカで髪の毛もツヤツヤで、美しくて、ご本人が示したように、まったく〝自分のことを棚に上げていない〟素晴らしい人物かどうかがめちゃくちゃ気になる今日この頃よ(笑)
最近、ネット上では、書き手が熟考を重ねて配信している良記事より、教養に欠ける人々の主張のほうが目立つため人々の常識やモラルの低下が気になるところ。まぁ、こういうのも今後、AIが駆逐していくと考えられるので、命脈も長くはあるまい。あっ、わたしも気をつけなきゃ!
又貸し商売 借りパク事件考 ~言葉で印象も変わる~
「トケマッチ」事件が世間を騒がせている。トケマッチのサービスは、腕時計を借りた人が月額のレンタル料を支払い、持ち主は時計のランクに応じた預託料を受け取れる仕組み。ニュースによると866本(18億5000万円相当)の時計が未返却であり、容疑者である運営会社の元社長はドバイにトンズラしたと見られるため、警視庁は国際指名手配に踏み切ったという近年稀に見る壮大な〝借りパク〟事件だ。
元社長のホームページには「購入するよりも経済的なサブスクリプションと、売却するよりも実利的なシェアリングエコノミーを掛け合わせた、新しい形の腕時計ライフをお楽しみいただけます。」とあった。
最近は自分が購入した品を他人に貸すことを『シェアサービス』というが、なぜか、『又貸し商売』といったとたん、おびただしい昭和感が溢れ出てしまう。意味は昭和も令和も一緒なのだが、こうも言葉で印象が変わるものなのか。
この運営会社は2022年12月あたりから、メディアの露出が増え、トレンド情報満載の有名経済雑誌もテレビもこぞって持ち上げた。CMも流れている。おおまかな内容は、〝投資や副業にもおすすめ〟とか、〝日本経済を支えるサービス〟といったもので、トレンドに敏感な人物に見せかけたい大人心を無責任に掴んでいった。この時点から、カンのいい人々はなんとなく、すかしっ屁のように掴み所のない〝胡散臭さ〟を嗅ぎ取っていたと思う。こうした危険性が孕んでいる商売でも、メディアが「新しい視点を持つ経営者が斬新なサービスを提供」というようなイメージを人々に持たせて詐欺を持ち上げるのはあたしゃ感心しないね。
想像できなかった?
大手メディアの露出が増えたことでそれが安心材料となり、高価な時計を預けた人が増えたならばメディアの罪も大きい。たった2年で約18億5000万円をかき集め、そのままトンズラ――――ということから悪質な計画性も感じる。人を疑うのは良くないけれど、どんな人に自分の高級時計が使用されるかも本当のところは分からない。自分の時計がいつのまにか売られていて、戻ってきた時計が偽物だったっていうのも想像できる。こんな危険性を孕んでいるビジネスだということを安易に想像できたはずなのに残念だ。これが日本経済を支えるサービスだと本気で思っているならば、問題意識の薄さが気になるところ。
又貸しビジネスはモラルがなければ成り立たないわけで、日本の現状をみると、IT化の遅れもそうだけれど、それ以上にIT化を急ぐあまり、様々なことにツメが甘いことが目立つ。AIの進化により、なりすましの詐欺犯罪も増加、ニュースをみても分かるとおり、モラルの低下が加速している今の日本じゃ、人様の持ち物を又貸しするビジネスは、日本経済を支えるどころか、向かないんじゃないかしらね。
今回の事件、ホームページには、「豊富な経験と知識に基づき、お客様のニーズに一つ一つ的確に応え、誠実かつ謙虚に向き合って参ります。」とあったけれど、誠実さは1ミクロンたりとも感じられない幕引きとなった。赤文字で「これまでご愛嬌ありがとうございました。」で締めくくられていたのを見て、んっ? ご愛嬌? わざとなのか、慌てて誤字をぶっ放したのか――――。(←どの口がいうかってのはご愛敬)
それはともかく、この事件、今回は時計だったけれど、高級バックや高級服の又貸しビジネスも危険が伴うと思うのよ。又貸しサービスを利用する大半は経済効果を見込んで他人のものを活用するのだと思うけれど、そこまでして高級品を借りたい理由はなんだ、と思うと、なんだか貸す方も安心して貸せないと思わない? だって高価なものって頑張って手に入れた大切なものだもん、思い入れもあると思うのよ。時計や服やバッグでも「ブランド品は高いから借りるの!」っていう発想自体がさ、頑張って欲しいものを手に入れた努力を無視されたみたいで個人的には好きになれないのよね。わたしがもし、我慢に我慢を重ね、頑張って手に入れたものを他人に貸すなら、100億歩譲っても〝価格じゃなくてモノの価値〟を正しく判断できる人じゃないと貸さないわよ。っていうか、見ず知らずの方にキズでも付けられたら大変だから貸さないけどね。
最近さ、様々なビジネスが出てきたけれど、うまい話にはくれぐれも気をつけないと。どんなに有名メディアに取り上げられても、それが良いこととは限らない。正しい指針にはならないってことね。
ビジネス的だけど、売上を伸ばすために必要なことについて「最高品質の製品や最高のサービスを受け取った時の経験こそが最大の購買意欲」とスティーブ・ジョブズは言ってるよ。
今の時代必要なことは、洞察力と想像力だと思う。
工作機械メーカー アメリカ駐在員の1年目
近年グローバル化がますます進み、ギョーカイでは海外出張は当たり前、海外に赴任する方も多くなりました。海外赴任の辞令を受けると、これから起きるであろうドキドキワクワクの期待感と慣れ親しんだ母国を離れるということから漠然とした不安が入り交じる――――というフクザツな心境を味わうのが社員さんの反応でありましょう。今回、工作機械メーカーで活躍しているK.Nさんに「アメリカ駐在員の1年目」をテーマに執筆をお願いいたしました。
ではK.Nさんの手記をどうぞ!
新年あけましておめでとうございます。昨年はアメリカ赴任(イリノイ州・シカゴ周辺)という大きなターニングポイントがある年でした。早いことで着任して既に6ヵ月も経過しており、多くの日本の友人たちは筆者のことを忘れているかもしれません。今回製造現場ドットコム様から「工作機械メーカーアメリカ駐在員の1年目実情」に関するレポート依頼があったため、今後赴任する方向けとしまして、筆者が海外赴任の通達を受けた後の謎の感覚「海外赴任だ! でも実際赴任前に何をすればいいの? アメリカ生活が軌道に乗るまで何をするんだろう? まだ時間もあるし、とりあえず会社・お客様・同級生に挨拶回りだ!」というふわふわした意識を叩き直すためにも「アメリカ赴任3ヵ月前に行ったこと」と「着任3ヵ月以内に行ったこと」を記載しておきます。人事発令前に事前に上司から通達はあると思いますので、ゆっくりと準備を進めることを推奨します。
アメリカの生活について
アメリカで最初に苦労したのが家探しでした。アメリカの家賃は想像以上で、結果的に入居キャンペーンを行っていた約$1,700($1=¥141計算で¥239,700)のアパートになりました。間取りは以下の通りで非常に広い(広すぎる)部屋になります。アメリカの平均家賃は2021年で$1,700だったらしいのですが、2023年の現在ではさらに高騰しており$2,000を超える物件が多く存在していました。
治安・通勤圏内・日系スーパーへの距離・契約条件(洗濯機共同/バスタブがある/電気代込などの契約条件を要確認!)などを踏まえて皆さんもより良いアメリカ生活を送って頂ければ幸いです。また、会社の家賃補助というシステムに感謝しましょう!(全額負担でなくても筆者は大変感謝しています)
住居の場所についてはシカゴダウンタウンは治安・通勤圏内から遠いため、郊外のアーリントンハイツという日本人が多く住む町にしました。アーリントンハイツには日系スーパーや日本食レストランもあり、電車でダウンタウンにアクセスできる非常に恵まれた環境です。赴任前はダウンタウンのような都会に住むイメージがあったのですが、実際は野生のウサギやリスが住む郊外に住んでおり、これも赴任前後のギャップの1つだと感じています。
仕事内容について
日本人駐在員の大きな役目の1つとして本社と海外支社の連携(橋渡しの立ち位置)を取ることが挙げられます。特に筆者のアメリカでの目標は「NC工作機械やハイレベル機の拡販」となっており、日本における高精度/付加価値の高い機械を現地営業スタッフに教育、ユーザーに提案、納品までフォローする事が役目のため、本社からのサポートは非常に重要です。
もちろん個別の営業マンとして機械を売り歩く事も行いますが、面積が日本の約26倍ある広大なアメリカには限界があります。実際に隣の州まで車で移動しようとすると約6時間運転をするため、複数件のユーザー訪問というのは計画的に行わないと難しいと感じます。この仕事を円滑に行う海外赴任者に求められることは「日本では自分の仕事だけだったが、様々な業務に対応する」ということが重要だと感じています。そのためにも、自身の役割と目標をしっかり持ち、現地従業員に馴染みながら、楽しい仕事ができる環境構築を心がけています。現地になじむためにも画像のような様々な工夫を凝らしております。(日本の恥?)
アメリカといえば美味しいものはコレ!
アメリカで美味しいものといえばステーキです! アメリカはステーキの肉・焼き方に非常にこだわっており、是非渡米時には一度ご賞味ください。またシカゴに赴任される方、日本食にはご安心ください! 日系スーパーマーケットのMitsuwaやTensukeというお店、さらに日本食レストラン等がシカゴには充実しております。筆者は近くに住んでいるため遠く6時間かけて車でやってくる日系駐在員の方からは羨ましがられます。。。日本食はシカゴでは充実しています、ただ金額は気にしたら負けだと思います。
ご家族帯同の方もいると思います、筆者が良く訪問する日系スーパーやレストラン一覧を記載しますので、安心して帯同してください。
頻繁に訪問する日系レストラン一覧
●Misoya(味噌ラーメン)
https://ramen-misoya.com/
●Ramen House shincan(ラーメン/かつ丼)
https://www.ramen-shincyan.com/contact
●Kitakata Ramen BanNai(喜多方ラーメン)
https://ban-nai.com/menu/
●Mistsuwa(日系スーパー)
https://mitsuwa.com/ch/
●TENSUKE(日系スーパー)
https://www.tensuke.com/
●Torizen(居酒屋レストラン)
https://www.torizen.us/
●Daruma(居酒屋レストラン)
https://www.yelp.com/biz/daruma-restaurant-schaumburg-2
●Sozai Banzai(お弁当/定食)
https://sozaibanzai.com/
●Gyu-kaku(焼き肉)
https://www.gyu-kaku.com/chicago/
これから駐在する皆様へ
筆者もまだ着任して6ヵ月しか経過をしておりませんが、無事生活は軌道に乗ることが出来ました。これも会社からのサポートや温かく迎え入れて頂いたアメリカ現地社員の方々のお陰と感じております。
仕事については全く新しい環境下のため、ルールや業務内容を覚えることがたくさんあり、1年目以降が勝負だと感じています。コミュニケーションをするためにも英語ももっと勉強する必要があると思いますが、今感じるのは「新しいことにチャレンジできることは人生にとって重要なこと!日本の工作機械を拡販してやる!そして、日本でもアメリカでも楽しく仕事をすることが重要、ポジティブに生きよう!」と感じています。英語も英検2級程度の知識ですが、なんとなく会話はできており、日本での仕事の知識を生かしながら活躍はできていると感じますので、優秀な製造現場ドットコムの読者の方々であれば大活躍できると思います。
これから駐在される方も多くの不安を抱えるかもしれませんが、誰でもその不安は感じたはずです。皆様をアメリカの地でお待ちしております。
(写真・文=工作機械メーカー アメリカ駐在員1年目 K.N)
重要な論文数が激減した日本とノーベル賞
久々に製造現場ドットコムのコラムを更新した。日々、製造業界に触れて原稿を書いている(打っている)身としてはどうしても吠えたい気分になったのだ。この件については、すでに月刊ベルダさんのコラムにも触れているので少々アレンジして掲載している。
毎年秋になるとノーベル賞の受賞者が発表され、TVニュースでも大きく報道される。ノーベル賞といえば注目されるのは、自然科学系の生理学・医学賞、物理学賞、化学賞の3賞だが、この3賞に限っていえば、日本人受賞者はアメリカに次ぐ世界第2位のようだが、残念ながら今年も日本人受賞者は見送られてしまった。わが国においては今後このような状況が続き受賞者が減少するのではないかと懸念している。
失われた30年の影響が出たか
わが国の科学技術活動の基礎資料である「科学技術指標」によると、日本は多くの指標においてアメリカや中国、イギリス、ドイツに続く3位あるいは4位に位置づけられている。気になるのは、大学、公的機関の研究者数や注目度の高い論文数が順位を下げていることだ。日本の論文数は中国、アメリカ、インド、ドイツに次ぐ5位だが、重要な注目度の高い論文数をみると過去最低の13位で韓国よりも下位になった。これについて20年前の日本は、アメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ4位で、中国が10位、韓国が14位だった。この間に日本は下落を続ける一方で中国がトップに躍り出た。
このような状況下で、日本においてノーベル賞受賞者を多く輩出するには、“失われた30年”をいかに早く取り戻すかが鍵を握るのではないかと考えた。その理由は、研究成果がノーベル賞の受賞につながるには20~30年かかるといわれていることにある。この約30年、本質を見誤ってしまったツケを回収するためには、若手研究者の挑戦を支える環境を形成し、次世代の研究人材の育成が急務だと考える。
あらゆる分野の基盤となる科学技術の重要性とやるべきこと
科学技術は、経済、産業、防衛、医療、環境などあらゆる分野の基盤となる。約30年前までは、日本は世界に誇る科学技術力を保有しており、その技術を搭載した商品の数々は世界中の老若男女をトリコにして発展してきた。ところが、最近の出来事でもわかるように、新型コロナワクチンについてもてっきり日本が開発するものだと思っていたのだが、結局、国内ではメドが立たず、海外メーカーのワクチンに頼らざるを得なかった。半導体の製造に関しても過去には世界シェアの50%を超えていたのに、今では台湾の半導体メーカーを誘致し、受託生産に頼らなければならなくなった。
このような現実に直面した日本はどうしたら良いのだろうか―――と製造業を多く取材している身としては、科学技術を推進するとともに知的財産を創出する「科学技術・イノベーション基本法」を重要政策として従来以上に推進し、「科学技術創造立国」を目指して欲しいと感じている。その一方で、製造業は技術開発・生産以外に、やるべきことがある。
それはなにか――――。
それは次世代につながる「子どもと科学」についての貢献・支援であろう。文部科学省や自治体では、子どもたちに科学技術に関する興味・関心を高めてもらうための企画・運営を行っているようだが、民間でも、もっと多くの企業が積極的にこれらのイベント等を実施して欲しい。2050年ごろには筆者もすっかり妖婆になっているだろうが、その頃には新時代での「科学技術創造立国」の再来とノーベル賞に値する論文数の増加が現実のものになっているものと期待したい。
巻き返しに期待
近年、製造業のトレンドといえば、EVを思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
EVに使用される蓄電池はご承知のとおり、リチウムイオン電池(LIB)です。LIBを発明したのは吉野彰氏で2019年にノーベル賞を受賞しました。この蓄電池政策については経産省も最重要技術のひとつに位置付け、蓄電池産業戦略検討官民協議会を立ち上げて、2020年~21年まで会合を6回開催し、「自動車等電動化の蓄電池」を筆頭にあげましたが、お茶の間的には蓄電池のニュースが少なく、ほとんど目に触れることがない不思議。筆者的には、もっと蓄電池フィーバーがあってもいいと思うのよねぇ。
昨年、連載している月刊ベルダ(ベストブック)さんでも振れましたが、LIBの歴史をみると、1985年に旭化成が基本特許を出願し、1991年にソニーが実用化、2005年に初代iPhone発売、2010年に日系メーカーがすでにEVを市場投入しています。15年以降は世界的にEVを市場投入していることから、ざっと見てもわかるとおり、残念なのはこれらの技術はビジネスともに10年頃まで日本がリードしていたのに、その後は中国や韓国が事業を急拡大したことです。
日本のLIB世界シェアは車載用では15年に51.7%あったのに、20年には21.1%まで落ち込みました。車以外も16年に27.4%あったものが20年にはなんと5.4%まで低下しています。くーーーーーーーっ!
はっ! Σ( ●Д●)
この流れといえば・・・・・そう! 製造業においてビジネス最前線にいる方なら気付くと思いますが、半導体に似ていると思いませんか。
中国や韓国企業は、政府の強力な支援を受けながら、液系LIBの技術で日本に追いつき、コスト面も含め国際競争力で逆転してしまいました。今では欧米含め、世界的に官民で投資競争が激化していますが、悔しいことに日本はグローバル市場から取り残された格好です。
ここは一発、なんとか巻き返して欲しいと願うばかりです。蓄電池はIT社会に必要ですし、再生可能エネルギーなどの地球環境問題に大きく貢献するものですので、巻き返しはきくはずと期待を込めています。
2022年を振り返って
2022年は新型コロナウイルスの猛威もさることながら、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が世界の歴史に大きな衝撃を与えた年となりました。世界の製造業にとっても交通網の混乱による物流コストの増大、原材料不足や価格高騰など、来年に持ち越しとなる問題も山積しています。
その一方、自動化、デジタル化に伴う設備投資意欲は旺盛でした。円安の影響もあり、「日本企業は儲かっているのでは?」という声も一部に上がっていましたが、いくら受注が増えても、先述の問題で、「利益が追いつかないよ。」といった悩ましい声をよく聞いた年でもありました。
いくら受注が多くても世の常として、反動減は必ずあるものです。取材をしていると来年は概ね、「〝一服感〟は見られるものの、好調さは来年も続くのではないか。」という見方が多く感じられました。多少の落ち込みがあっても、2022年の好調さが当初の予想よりも上回ったので、落ち込んだとしても、平常からいけばまぁまぁといったところ。攻めの姿勢を崩さず、2023年も突っ走るといったところでしょうか。
2022年11月には製造業の祭典「JIMTOF」が4年ぶりにリアルで開催されました。新しい未来を実現する技術のひとつ、カーボンニュートラルを実現するグリーンテクノロジーや、工程プロセスの効率化を促進するDX技術が数多く披露され、多くの企業が脱炭素社会の実現に向けた取り組みを来場者にアピールしていたことがとても印象的でした。
グリーンテクノロジーは、2030年までに8兆円市場に成長すると予測されていますが、合理的かつ無駄のない生産技術はさらに進化し、今後も市場に大きな影響を与えるものと思われます。
新型コロナウイルスの出現により数年が経過しましたが、デジタルコミュニケーションがますます盛んになり、生産ラインでは、生産性を高めるための手段としての〝見える化〟も進化し、今や〝つながる化〟の強化を図る動きも出ています。コロナ禍の間に、人間同士のコミュニケーションを活性化するため、SNSなどのツールを活用する人たちが大勢いたことを考えるとコミュニケーションの重要性を改めて実感する年となりました。デジタル化社会を実現させるためにも情報技術は今後ますます重要なものになると予感させます。
さぁ、2023年も元気でいってみよう!
4年ぶりのリアルJIMTOFを振り返る
11月8日(火)から13日(日)までの6日間、東京ビッグサイトで4年ぶりに「第31回日本国際工作機械見本市 JIMTOF2022」が開催されました。今回のJIMTOFは60周年の節目を迎え、出展社数・小間数ともに過去最高を記録していますが、中国勢の不在もあり、6日間の総来場者数は114,158人で、前回(JIMTOF2018)の来場者数153,103人と比較して減少しています。
筆者は会期中、日曜日以外、毎日重たいカメラを首から引っ下げ、取材をしています。4年前と比較して確かに会場内の人の流れは前回よりも余裕があることを肌身で感じていましたが、各社のブース内に入ると、大賑わい。パチンコ玉のように人にぶつかることがないようカメラを抱えてブース内を取材しなければなりませんでした。
出展各社に「今回は中国勢が不在ですが、いかがですか?」と尋ねると、誰もが「来場者が少なくなると予想していましたが、お陰様で前回と変わらないほど忙しいです!」と立ちっぱなしと喋りっぱなしによる疲労感を滲ませながら応えてくれました。足も痛そうにモジモジしています。もちろん筆者も西館東館の往来でモジモジです。(←足痛ぇええ~~~と心の声)
確かにブース内は人で溢れています。中国勢が不在なので来場者の減少は避けられないとの予想に反し、このダメージを各社のブース内ではまったく感じない、それどころか多忙を極めていました。
本気の設備投資欲を見た! 来場者のブース内にいる滞在時間が長かった
この現象は前回のJIMTOFに比べ、来場者のブース内にいる滞在時間が長いことを示しています。ジ――――――ッと見ていると、来場者の皆様は、展示品について真剣に問い合わせをしていることが分かりました。しかも次から次へと質問が飛び出てくるではありませんか。確実に目的を持った方が数珠つなぎでやって来るのです。出展された皆様のほとんどが、「商談に結びつく手応えをしっかり感じた。」と感想を述べています。
最近では新型コロナウイルス感染対策の規制が緩み日常生活の回復が見られますが、コロナ禍でリアルな活動が停滞していた分、製造現場で活躍している皆様の設備投資への欲望がところてんのように押し出されたようにも見えました。
現在、国際紛争やこれに起因する資源高騰に加え、材料不足もあり、経済環境は若干不安定なものの、2022年版ものづくり白書によると研究開発投資については、「増加/やや増加」の割合が増しています。この投資の目的は「新製品・サービスの提供」が最も多いのですが、国際的にもカーボンニュートラルの実現に向けた取り組みが重要視され、製造業としても新たな技術開発が求められています。
今回のJIMTOFでもCO2排出削に向けて工作機械、切削工具・周辺機器からのアプローチも多く見受けられました。高能率で加工できれば工程短縮が実現し、省エネ効果とともに経済効果も期待できる―――ということですね。
もうひとつ、少子高齢化、労働人口の減少を解決するための自動化もトレンドです。デジタルツールを活用した次世代のものづくりで、製品価値の競争力を高めるための工夫も豊富に見ることができました。
そして、なんといっても加工技術のトレンドといえば、EVと半導体、大物金型と微細加工に向けた加工ソリューションといったところでしょうか。特にEVでは持続可能な社会に向けて世界中の自動車メーカーがCO2排出制限に対応する新技術を欲しています。燃費の向上には小型化・軽量化が必至ですから、これに対応した加工技術が必要になってきます。
後日、JIMTOF2022で取材をしたこれらのトレンドについて、「工作機械編」、「切削工具・周辺機器編」として製造現場ドットコムのピックアップにて掲載しますのでお楽しみに。
秋は業界の行事も多く、JIMTOFも4年ぶりに開催され、ニュースがモリモリで溢れております。ブログではニュースに掲載できなかった小ネタなどをどんどんアップしていきますので、要チェックですゾ☆
明治18年の「小学校生徒用物理書」
明治18年に出版された「小学校生徒用物理書 巻之上 巻之中 巻之下」〈発行:(株)数理設計研究所〉を拝読しました。明治に発行された内容を数理設計研究所さんが一冊にまとめたものです。原本の良さを残しつつ編集されていることにも驚きましたが、さらに、びっくりしたことがありました。「当時の小学生はこんなに高度な勉強をしていたのか!」ということです。
実験機器を示すものについても、当時は写真を使うことがあまりなかったのでしょう。繊細な図と、その説明から、まさに〝大人の読み物〟だと感じました。
当時の教師はまだ幼い児童にこの書籍を用いていろいろと教え、実験をしていたのだな、と想像しました。ひょっとしたらマクロ的にみて、現代の成人より当時の小学生のほうが知的レベルは高かったのかもしれない・・・・と少々不安になったほどです。
内容的には物理の基本ですから、とっくに成人している現代人のわたしにとっても、非常に参考になります。こうした書籍はなかなかお目にかかることはありませんので、これを発行してくれた数理設計研究所さんには感謝です。
国内製造企業を経営する皆様の中には、持続可能な社会を考え、〝人材育成〟について本気で考えていらっしゃる方が多いのですが、若者に興味を持たせるための手法について大人が真剣に議論しているニュースはあまり聞くことがありません。楽しければいいや、的なその場しのぎの手法も興味を持つ良いきっかけになるかもしれませんが、一時の感情だけでは、継続することは難しいようにも感じています。
一生勉強といいますが、まさにそのとおり。知識が貯金をするように貯まれば、厳しい世の中においても、よほどのことが無い限り、蓄積した知恵が助けてくれることでしょう。生きるためのアイテムは豊富なほうがいい。
今回、数理設計研究所さんがまとめた一冊は、子どもでも読めます。なんとなく〝大人になった気分〟を味わいつつ、今の時代、知らない言葉は簡単に調べることができますので、こうした知的好奇心をくすぐる王道のような書籍の登場に、わたしはとっても嬉しくなりました☆
サービスの鈍化
身内の話。先日、接種券が届いたので3回目のワクチン接種を申し込み、接種当日に会場にいくと、名前がない。名前の読みが違ったらしく、すったもんだしたらしい。どうやら、オペレータの入力ミスがあったとのこと。これを聞いたとき、接種券が届いているのに、なぜシステムで繋がっていないのか、と疑問に感じた。これこそシステム化をすれば、接種券に記載されている個人情報を、さらにオペレータが手入力をする二度手間の必要がなくなり、その分、ポカミスを防ぐこともできると思うんだけどね。いまだ、こんな状態なのだからIT化を推進するにも苦労すると思う。やれやれだ。
以前、コラムにもデジタル化は手段であり目的じゃないことをつらつらと記載したけれど、システム化によって誰にどんな貢献ができるのか、が抜けていると、なんのためのシステム開発なのか目的を見失い、複雑さは増すばかり。トラブルが起きたときには責任の所在がどこにあるのかすら分からない。ユーザーがマルッと損をすることだってあり得るのだから、恐ろしい世の中になったものだと思う。
デジタル化は顧客に対し、サービスの向上にも貢献するはずだが、近年、このサービスの観点が抜けているようにも思う。ビジネスの仕組みそのものを理解していない場合、画面ありきで物事を捉えてしまいがちになる。アナログ的だと、手入力も紙にボールペンで記載すると同じ感覚であればポカミスもするだろう。デジタルでポカミスを犯し、それをシステムが正しいと判断した場合は厄介だ。そこに昭和時代のアナログ的発想を引きずってると、システムを活用した二度手間、三度手間を犯していることすら気付かない。どこでなにを間違っているのかを考えることができず、是正することを知らない人が増えると、ユーザーが求めているニーズに応えることができずに、サービスはどんどん鈍化していくおそれがある。日本は本来、サービスも強みのひとつだったはずだ。
最近、大阪市がコロナウイルス感染者数について1万2700人ほどの報告漏れを起こしたとニュースになった。令和の時代になんと、医療機関から着信した〝FAX〟によるデータをもとに保健所が入力しているというではないの。これじゃあ日々増えていく膨大な感染者数のデータ処理に追いつくわけがないし、しかも人間のやることだから、ポカミスが起きても当然だ。なんとなく、消えた年金問題を思い出しちゃった。これも入力ミスが起こしたような・・・・。だとしたら、あらやだっ! なにも変わっちゃいないってこと?
それよりこの非効率な作業について、誰も改善に着手しようとしなかったのか。もし、企業であれば信用をなくして売上がダウンしてしまうほどのダメージだと思うんだけどね。ここに時代が変わっているのに、変わろうとしない問題の要因が見えてくる。
そういえば、「昔と違い、今はビジネスも変貌しているのに、いつまでも前例主義でよいのだろうか。」
と仰った社長さんの言葉が頭に浮かんだ。
この言葉を聞いて、思わず「これだ!」と感じた私。前例がないと一歩先行くことができない、この臆病な感覚こそ、今の時代に不要なものだと思っている。(←場合によるけどね)
デジタル化は手段であり目的ではない
ブログにも掲載したが、10月初旬に都内の病院に9日間も入院してしまった。良かったことといえば、痩せたことぐらいか。とはいえ、健康的な痩せ方ではないので、リバウンドに怯える日々を送っている。
さて、入院中に気になることがあった。最近は、病院も一気にIT化が進んでいるようだ。担当看護師もPCをカートに乗せてやってくる。点滴などの薬剤を何時に投入したかPCに入力し情報を共有しているのだ。この作業により、〝申し送り〟がスムーズにいき、必要な患者の情報が効率よく伝わることができるのだろう。
製造現場をメインに日々、取材に明け暮れているわたしとしては、作業効率の向上については、非常に気になるところ。それが例え病院でも、だ。
今回、残念ながら、デジタル化に伴う大きな落とし穴を目の当たりにした。アナログな考えのもとでいくらデジタル化をしても、アナログゆえの非効率さとポカミスは減らないだろう。
5日間は24時間点滴で命を繋いでいたわたし。その間、絶え間ない術後の痛みに苦しみもがいていた。痛み止めの点滴は1日に回数が決まっているので、そうそう注入できないのだが、あまりに痛くて苦しい場合、ナースコールを押して痛みを訴えれば、前回の注入より4時間あけば打って貰える。
当初は4時間ほどで痛み止めが切れ苦しんだ。朝だろうが夜中だろうが、4時間で痛み止めが切れてしまう。ああ、痛い痛い痛い~。
痛いので痛み止めの点滴を打ってもらうと数時間はラクになる。この間に眠りにつくのだが、痛み止めの点滴も終了し、うとうとしているところ、30分もしないうちに先ほどとは違う看護師がやってきた。なんと、注入してもらったばかりの痛み止めの点滴の準備をしているではないか。いや~目覚めてよかった!
「それ、痛み止めですよね? 先ほど注入してもらいましたよ」というと、「あらっ! ほんと?」という。どうやらPCへの記入漏れを起こしていたらしい。恐ろしいこっちゃ!
いくらデジタル化を推進しても、そもそもの発想がアナログだから、こうしたミスが起こるのだと感じた。単に入力して見える化するだけでは、紙やボードにマジックで書いて貼り付けておくのと大した変わらない。
他にも、今回、数人ほどに何度も何度も食材のアレルギーについて聞かれ、その都度、痛みを堪えて説明をしていたのにも関わらず、アレルギーのもととなる食材が出てきたので、チクリと嫌みを言ってしまった。対応したそれぞれが、おそらくPCに入力しただろうと想像するが、単に入力するだけでは、情報共有にはならない。
どうせなら病院でも、製造現場で最近トレンドとなっている工具管理システムのように、病院もバーコードやQRコードのようなもので、誰が、どの患者に、どんな薬剤を注入したか、を管理するようなシステムがあってもいい。さらに、患者のベッドにはバーコードやQRコードがついていて、合致させるシステムがあるとポカミスも減るだろう。
近年、DX等、新たな取り組みがどんどん進化し、頼もしく感じるが、デジタル化を目的にしてしまうと、その先にある「なんのためのデジタル化をするのか」が抜けてしまう。
効率向上のはずが、ミスが起きると、そのミスの原因を探るにも時間がかかり、「よくわからな~い。それ、入力したのは僕(私)じゃないから言われても困る~」という責任のありかも曖昧になる可能性だってあるのだ。いや、もう、すでにそういう場面に数度遭遇しているぞ。
幸いにも私が取材した製造現場では、こうしたミスは聞いたことがないうえ、DXもかなり進んでいる。この技術が、病院でも採用されればいいのになあ、と思う今日この頃でした。
「いぬねこごはん.COM」はペットの健康管理に強い味方
先日、うちのおキャット様が体調を崩した。猫は毛玉を吐く生き物なので、ゲロってもいつものことと流してしまうのだが、毛玉を吐いたあとだというのに、連日吐いているではないか。そのうち、水を飲んでも吐くようになり、とうとうグッタリしてしまった。あまり吐くと脱水症状を起こしてさらに体調が悪化する可能性があるので、すぐさま病院に連れて行った。考えたくもないが、悪い病気になった可能性もある。エコーやらレントゲンやらと様々な検査をしたのち、どうやら「食べ過ぎ」が原因だということが分かった。
そういや、わがおキャット様は、淋しいと「ご飯を食べるからお利口してにゃ~」とばかりに呼びつける。ご飯を食べると「いい子だねえ可愛いねえ天才だねえ」とおだてて育てたのがマズかった。おキャット様は、注意を自分に向けるためにはなんでもするお姫様だ。わたしを下僕のように呼びつけてはキャットフードをモリモリに食べる。食べ続けると、人間同様に胃も悪くなって当然だろう。
おキャット様の体調不良につき、わたしの財布に痛々しい爪痕が残ったが大事には至らずホッとした。このとき、少々、ペットのおやつやフードについて考えた。ペットフードはペットの体調管理に重要なものだ。人間が胃を痛めた時には、カレー、天ぷら、ステーキが食べられず、お粥など、あっさりしたものを欲するものだが、ペットにも体調不良に合わせたフードがあってもよいはず。しかしながら、食材を調べもせずに販売しているフードやおやつを与えていいものかどうか・・・。
(う~ん。どうしたらいいんだろう・・・・・)
慎重になったのはワケがある。今から3年前に起きた出来事を思い出していた。
ペットフードの情報は重要
すでに3年前、連載させていただいている月刊ベルダのコラムにも書かせていただいたが、心配に至った経緯はこうだ。
当時、テレビの情報番組で衝撃的な映像を見たことから始まった―――。
それは飼い犬がペットフードを食べてサルモネラ菌に感染し、もがきながら最期を迎える映像だった。可哀想で直視できず目を背けてしまうほどだったが、この時の解説者によると、ペットフードは日本の安全基準よりもアメリカの方が厳格だ、という旨を述べていた。具体的にはFDA(米国食品医薬品局)かAAFCO(米国飼料検査官協会)の表示があるものが安全だとのこと。これを受け、わが家のキャットフードをすぐさま確認したところ、AAFCOの表示があったので安心したと同時に、日本はペットフードの情報が貧弱なことに気付いた。
このペットフードを販売した組織によると、製造元の商品からサルモネラ菌が検出され、68匹のペットが嘔吐や下痢、さらには死亡するなどの重大な健康被害があったというではないか。驚いたことは、この組織は当時、ペットフードを食品だけでなく生活用品に位置付け、細菌基準を設けていなかったという点だ。このとき、「今後はペットの健康被害を人の健康被害と同様に扱うこととし、加工食品と同等レベルの微生物基準を設定する。」としたので、現在はすでに改善しているだろうが、3年前の出来事とはいえ、己の脆弱な記憶にこびりついているほどショッキングな出来事だったわけで、ペットとともに生活をしている方なら、フード選びが慎重になるのも当然だろう。
このような事故が発生すると必ずネックになるのが、「動物は物」というわが国の法形態の抜き差しならぬ概念だ。ドイツは民法を改正し「動物は物ではない」ことを規定、イギリスは「動物健康法」を制定、フランスは「動物を感覚ある存在」と規定、アメリカは「修正動物福祉法」を制定するなど、いずれも30~40年前から施行している。
なお、わが国では、そこから遅れて2019年6月に改正動物愛護法が成立。欧米にほんの少し近づいたようだ。
助っ人となった「いぬねこごはん.COM」
さて、前置きが長くなってしまったが、こうした経緯もあり、わがおキャット様のお食事には大変気を遣っているわたし(下僕)である。そこで助っ人になったのは、「いぬねこごはんドットコム」(代表=鈴木健太氏 https://inunekogohan.com/)というサイトだ。なんと2000種類以上の犬や猫用フードの情報をデータベース化しており、ペットの年齢や種類はもちろん、ご飯の素材、粒サイズ、食材の効能から体調の悩み別、気になるフード代(ランニングコスト)まで、効率良くペットのニーズに合致したフードを絞り込み、選んでくれる。
手作りのペット用お食事レシピも投稿できるページもあり、SNSと連動しているので、情報を楽しく共有できる仕組みもあった。飼い主の愛情の深さやおペット様たちの可愛らしい様子にもキュンキュン刺激される。また、フードブランドの特長なども分かりやすく紹介しているほか、フードがペットに与える影響などかなり突っ込んだ情報も豊富に盛り込んでいるので、おキャット様のお食事情報に飢えているこちらとしては、非常にありがたかった。
鈴木代表に運営の狙いを尋ねたところ、「ペットたちの飼育環境改善、そして欧米諸国のように、人間とペットがもっと近い存在で共存していける社会となるよう貢献したいと考えた事が一つです。少子化やコロナ禍の影響を受け、ペット飼育率が増加の傾向にありますが、飼主にとって大切な事は、ペットを最後まで家族の一員として迎える責任、そして、ペットが幸せに過ごせる環境づくりだと考えます。中でも、『食』は、飼主しか選定出来ない重要なものであるため、広く重要性を伝えていく必要があると感じております。」と述べており、今後、ペットフードメーカーや動物愛護団体との連携を強化しいく方針だ。
鈴木代表の活動は始まったばかりだが、日本とペットが共存していける社会に貢献するものとして、大きな期待が寄せられる。
↓いぬねこごはん.com↓
気をつけても流れ弾
コロナ禍が落ち着かないうえ、物騒な事件が多くなりました。小田急線の車両内ではいきなり男が若い女性を刺したり、白金高輪駅では硫酸ぶっかけ事件も起きました。こちらは顔見知りの犯行のようでしたが、そばにいた罪のない女性が巻き添えで怪我をしてしまいました。脚にやけどをしたようですが、痕が残ったらと思うとやりきれません。どうか恐ろしい事件の被害に遭われた方々の回復が進みますように。
鬱積した気持ちを抱えた人の怒りの矛先が見ず知らずの人に向けられた時の恐ろしさに震えます。気をつけようがありません。日本は他国に比べて治安の良さはピカイチでしたが最近はそうもいっていられなくなりました。
防ぎようがないといえば、先日、朝一で漢方を処方してもらうため定期的に通っている病院に行ったところ、某ビル20Fにある疾患別に診療を設けている予約制の病院にゲホゲホ咳をしながら、初老男性がズカズカと入ってきて大騒ぎをしている場に遭遇してしまいました。自分でも悪運が強いと常々思っているのですが、こういうヒキの強さもあるんですね(笑)
他の人が受け付けをしているのにもかかわらず、「誰か対応してくれ~」と言わんばかりに近くにいた職員を呼び、「ゲホゲホ・・1年前に●●先生に診て貰ったことがある。咳が出て、喉が痛くて水も飲めない。診察して欲しい。ゲホゲホゲホ」。周囲に人がいてもお構いなしです。
入り口にはデカデカと張り紙(←熱や咳、鼻水、喉の痛みのある方はご連絡くださいというアレ)を無視して入室し、切羽詰まった様子で訴える症状から、流行病の嫌な予感がします。こちらは7月中に基礎疾患持ち枠で2度のワクチン接種を終了しているとはいえ、ひゃ~~やめてぇえええええ!(←心の声) ツバメのような速さで部屋の隅っこまで逃げました。
受付の人は、取り乱すこともなく、「診察ができるかどうかは分かりません。少々お待ちください。」のようなことをおっしゃっていましたが、その後、彼がどうなったか分かりません。
予約もなしに予約制の専門外来に〝水も飲めない激しい喉の痛みと激しい咳〟の症状でやって来たことから、おそらく、どこも診察をしてくれないだろうから直接来た・・という理由があったのかもしれません。そう思うと不憫なのですが、激しく咳き込みながら20Fまでエレベータに乗ってきたのかと思うと、不安な気持ちになります。換気の悪い同じエレベータの中にいた方は、防ぎようがありません。
その後、自宅に到着したあと、早朝、お風呂に入ったにもかかわらず、もう一度、シャワーを浴びて髪の毛を洗い、化粧をとり、そして着ていた服を全部洗う羽目になりました。これで午前中は終了です。メイクをする時間もないほど身支度が間に合わなかったのですが、その後、オンライン会見だったので、いろんな意味で助かりました。
しかしながら、わたしが遭遇した初老男性も、通常ならば国民の義務のひとつである納税を実行していると思われます。国民の義務を果たしても、病気になったら診て貰えない世の中になったのかと思うと、それってどーなのよ? と正直思ってしまいます。
最近、救急車をよく見かけても、サイレンを鳴らしていないことが多いことに気付きました。あちらこちらに停車しているのをみて、憶測ですが病院の受付が困難な状態なのかと感じました。えらいこっちゃですよ、これは。ひょっとしたら、TVの情報番組で放送されているよりも現実はさらに厳しいものなのかもしれません。
【注意】「工事のごあいさつ」 実は詐欺セールス! ~怪しい作業着の男~
コロナ禍と連動してなにかと物騒なご時世。振り込め詐欺など相変わらず年寄りを騙す悪い奴らが暗躍しておりますが、詐欺は振り込め詐欺だけではないので注意が必要です。
ピンポ――――――ン。
先日のこと。
インターフォンが鳴ったので、モニターを見ると、近年イケてる男の定番ヘアスタイルの代表格、ツーブロックの髪型に作業着をまとった若い男・・・・というより、崩れて売り物にならぬブロッコリーのかぶり物をしているような男が映っていた。チャイムに設置してあるカメラを意識しているのか男は正面を向いておらず、右に左に揺れている。
(ぬぅうう! 怪しい!)
カメラ付きインターフォンに対し、正面を向けない理由でもあるのでしょうか。
ひょっとしたら泥棒の下見かもしれない。居留守を使うと留守だと思って忍び込んでくる可能性もある。残念ながら、泥棒が満足するほどの財産も金もないので、万が一、凶暴な輩に襲われた場合、その日のニュースには、「美人ライター刃物で刺され重傷 3千円入りの財布を奪われる」(←美人は余計だという怒りの声は聞こえません)のショッキングな見出しが付く可能性が大きい。
3千円を取られて大けがを負ったうえ、いい年こいた大人の財布の中身が「3千円しかなかった。」という恥ずかしい事実を世間に知らしめかねないので、しぶしぶインターフォン越しに対応することにした。
男は横を向いて肩を揺らしながら、「ご近所で工事をするのでご挨拶に来ました。騒音等でご迷惑をおかけするかもしれません。説明をしたいのですが。」と話した。マスクをつけているうえ、顔が横に向いているのでモニターからは表情を確認することができない。別角度から映してある防犯カメラのモニターを見るとドアの前でエビのように身を屈めている男の姿が映っていた。
騒音をめぐる挨拶に来たというのに、手ぬぐいの一枚も持っていないところが怪しい。しかも、この男、最初から社名を名乗っていない。通常、こうした場合は、社名と名前を言うはずだ。
―――やっぱり怪しい。ドアを開けることなく、「はい。承知しました。わざわざどうもありがとうございます。」と言ってインターフォンを切った。男は右に左に肩を揺らしながら、獲物を取り逃がした小動物のようにしょぼくれて帰って行ったが、その姿から漂う〝違法〟なニオイをなんとなく感じ取った私は、家族に、「このあたりは高齢者が多いので、怪しいヤツが騙そうと彷徨いている可能性があるよ。泥棒の下見かもしれないから、居留守を使わないようにね。そして怪しいと思ったら絶対にドアを開けちゃダメだよ。」と注意を促した。
確認のため、ポストの中を覗くと、ダサいツーブロッコリー頭の男の名刺も、工事のお知らせも、ご挨拶の定番である手ぬぐいも入ってはおらず、ものすごく気持ちが悪くなった。
たしかに近くで工事をやっているが、騒音が響くほど近場ではない。近隣はつい最近、工事が終わったばかりだ。ちなみに、その際、うちには挨拶に来なかった(笑)。なお、本当に騒音が出るほどの工事が行われる場合、大抵、ペラ紙の〝お知らせ〟がポストに入っているものだ。
ところが翌日。
今度はヒョロガリタイプの作業着を着用したこれまた若い男がやって来た。内容は前日と同じく、「ご近所で工事をするので挨拶に来ました。」という。相変わらず、よく顔が見えない。昨日の今日で、立て続けにご挨拶とは。
「わざわざありがとうございます。ちなみに、ご近所ってどこですか? お隣さんですか?」と尋ねてみると、「はい。そうです。説明をしたいので・・・」と、昨日同様、ドアを開けてもらうための正当性を示しているものの、こちらからすると、この返答自体が、不当そのものである。なぜなら、近隣は、ちょいとした建屋の直しをこの前に終えたばかりだ。すぐにまた工事を始めることなど考えにくい。
「お隣さんって●●ハウスの工事ですね。」と適当なことを言ってみたところ、悪びれる様子もなく、「はい。」と返答をする始末。なんとまぁ、この嘘つきめ!
男のデタラメを確信した瞬間である。社名と名前を名乗ることなく、工事の具体的な場所も自ら示さないこの男の目の前にあるドアを開けるわけにはいかぬ! 深呼吸をしたあと、逆恨みをされても困るので、「ご苦労様です。」と一言いってインターフォンを切った。
屋根工事のインチキ勧誘を思い出した!
数年前、似たようなことがあった。
「近くで工事をする者です。ご挨拶に来ました。」と、作業着姿の若い男がやって来たことを。当時はカメラ付きインターフォンを設置しておらず、うっかりドアを開けてしまった。
男は、「騒音がうるさいと思います。なにかあったら言ってください。」と言った。当時は、「はい。親切にどうもありがとうございます。」といってドアを閉めた。が、このとき、社名も具体的な場所も示していないのに気付いた。
直感的にモヤモヤしたものがあったが、鳥のごとく秒速で忘れた私。ところが30分もしないうちにこの男が舞い戻ってきたではないか。
「すみません。先ほど挨拶をした者ですが・・・。ちょうど、うちの親方がこの家の見えるところで作業をしていまして、お宅の屋根の一部が剥がれている部分があるんで、危ないって言ってるんっすよ~。で、知らせて来いって言われたんです。台風が来たら危ないからって。」と、いかにも気のいい親切な業者の言うような台詞を並べた。
「ええっ!? 屋根が剥がれてるですって!」
驚いた私は、先ほど感じたモヤモヤもすっかり忘れ、またもドアを開けて外へ出てしまった。男は、「ちょっと屋根を見ましょうか? これ危ないですよ。台風が来たら飛ばされますよ。」とボロ屋根の方へ人差し指を向けた。
(台風で屋根が飛ばされたら大変だ!)と仰天した私。そりゃ~屋根が飛ばされて、どこぞの建屋に激突し、被害が出たら目も当てられない。うろたえた私を見て、作業着の男はしめしめと思ったのだろう、「強風が吹いたら危ないですから、ちょっと見てあげますよ。」とニヤリと笑った。
(なんて気持ちの悪い笑顔なのだろう・・・・)。
ふと、悪徳業者の手口に似ていると感じた。シロアリ駆除でも、外壁リフォームでも、布団でも、こうして相手の根城にまんまと足を踏み入れた悪徳業者は大抵、最初に親切心を押し出して相手の警戒レベルを下げ、そして不安を煽るものだ。
業務上、長年、多くの殿方たちを取材してきたが、目の前にいる男のまとう雰囲気が普段から接している殿方たちとは全く違うことにも違和感があった。目線がしっかりしておらず、右に左に身体が揺れている。作業着が汚れていない割には、靴がもの凄く汚かった。このバランスの悪さも気になった。
「ちょっと待ってて下さい。」
仕事で使用しているカメラに望遠レンズを装備し、首からぶら下げてもう一度、外に出た。男は一瞬ギョッとしたようにも見えたが、ここまできたら手を緩めてはいけない。「親方さんはどこの建物から屋根を見ているのですか?」と男に尋ねてみる。すると、男はポツリと「あっち。」とだけ言って人差し指を向けた。おいおい、幼稚園児か、おまえは。
望遠レンズを上に向け、親方を探すが、住宅が密集しているので空間が狭く、確認できない。よくよく考えると、この家の屋根が壊れていることが丸っと確認できるほどの高さを確保している建物がないことに気付いた。
「う~ん。ここからじゃ親方さんは見えないですね・・・ところで私もこういう商売をしているものだから、どこがどうなっているのかきちんと確認をしながら作業をしないと気持ちが悪いんです。問題箇所を撮影しますので教えてください。のちのちトラブルになるといけないですしね。」といって、カメラを若者に向け、ゆらゆらと見せつけるように揺らした。
「で、親切な親方さんはなんという名前ですか。そちらの会社名を教えてくださいませんか。」
「・・・・・・言えません。」
「なぜ言えないのですか?」
「親方に迷惑がかかりますから。」
「なぜ迷惑がかかるのですか。」
「・・・・・・もう、いいです。」
「そうですか。わかりました。」
男はそのまま、背を向けて帰って行った。このあと、不信感の高まりからネットで「工事のお知らせ 親方 屋根」で調べてみたところ、出るわ出るわのリフォーム詐欺! 台詞がまったく一緒で唖然としたわよ。
この男のいいなりになっていれば、法外な金額をふっかけられて、涙で枕を濡らしていた日々を送っていたに違いない。
それから数年後、また、似たようなことが起きるとは・・・・世知辛い世の中になったもんですな。
この手法、結構、流行を見せているようですので、皆様も気をつけてくださいね。もし、「工事のお知らせで来ました。親方がお宅の屋根が剥がれているので、危ないから教えてやれって言ってるんです。」と言われたら、「今、手が離せないので、名刺をポストに入れておいて下さい。」と言うのも一案です。まともな業者であるかどうか、調べる方法はいくらでもあります。その場ですぐに返答しないことがコツです。
これらの手口、大抵詐欺です。自治体によっては注意喚起がされており、用心に超したことはありません☆
「日本版CDC」どこいった?
緊急事態宣言も3度目となると、もう、我慢の限界! 度重なる変更等で、うっかりミスも増加する己が悩ましい・・・ということで、久々にコラムを更新します。この内容は、すでにベストブック社の月刊ベルダ5月号に書かせて貰ったものを少々アレンジしています。
最初の新型コロナ緊急事態宣言から1年が経過した。当時はクルーズ船内の感染でのドタバタが毎日のようにニュースで流されるたび、現場と厚労省の間で役割と責任分担が明確化されていないのが目についた。非常時における指揮命令系統の欠如や情報の錯綜は現場を混乱させ、これらが国民に不安を与える材料になったと感じている。
このようなことが影響したのか、経団連は早々に、「感染拡大は予測不能でひとたび非常事態が発生すれば迅速な対応が求められる。スピード感を持って判断をしていくためにも平時からの備えと有事の際の強力なリーダーシップが極めて重要」とし、アメリカのCDC(疾病予防管理センター)を参考に『緊急事態における司令塔機能の強化』を提言した。また、わが国の医療系138学会からなる日本医学会連合も「科学的なエビデンスに基づく政策提言と情報分析・活用ならびに人材育成・活用の支援を行う常設組織の創設」を提言し、具体的には情報の一元化による国・自治体・アカデミア・国民の間での必要な情報の共有と活用など6項目目を要請している。連合会は原発事故で健康被害が懸念された10年前にも諸外国には設置されているCDC機能が日本にないことから「Japan CDC」の創設を提案しており、他にも諸団体や自民党の大物議員が同様の提言を行っていた。
当時、これらの提言を政策に織り込むというような報道があり、早急に実現して欲しいと願っていたが、なんと! いつの間にか、この話題が消えているではないか。
そういえば、某情報番組で某コメンテータが「官邸と厚労省は考え方に大きな差がある。しかも仲が悪い」というようなコメントをしていたことを思い出した。う~ん、本当なのか、これは。
だから国の体制も、新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議や、分科会、アドバイザリーボード、基本的対処方針分科会など、複雑すぎて分かりにくいのか・・・と、思わず口角が下がってしまった。それに加え、実質的な司令塔が経済再生大臣なのか、厚労大臣、官房長官、はたまた分科会会長なのか、いまいちハッキリしておらず、実質的な司令塔が誰なのかもさっぱり分からない。口角下がりっぱなしのへの字口で、マツコ・デラックスさんのように「なんかさぁ~あれじゃな~い?」と呟きたくもなる。
本来ならば、厚労省が司令塔になってシンプルな体制で機動的にこの憎たらしい極悪ウイルスと戦っていくべきじゃないのか。なぜ、厚労省が「日本版CDC」創設に手を付けなかったのか、謎だ。
新型コロナ対策と厚労省を対比すると、まず憤るのは、ワクチン政策である。昨年まで、わが国はワクチン先進国だと思っていたが、いつの間にか、後進国に成り下がっているではないか。これは国産ワクチンについて消極的政策をとったからだと感じている。結局、海外のワクチンに頼らざるを得なくなった。しかもワクチン争奪戦に出遅れ、ワクチン接種担当大臣をつくる羽目になった。
個人的に許せないのはPCR検査だ。あれだけ検査数の拡大要求があったのに人手不足を理由に抑制し続けた。これまた個人的な意見だが、わが国の生産技術開発力で相当カバーできたはずだ。自動検査機の開発品も海外で活躍する始末だから、目を覆いたくなる。
今は日本全国、変異ウイルスとの戦いの日々だが、ゲノム解析ロボットの新開発を支援・助成し、〝国内に配置する〟動きを感じない。これらの開発をもっと活発化してほしいと願っている。
「厚労省が変わらなければ、この日本は変わらない」をスローガンに始まった省内若手改革チームに期待しているが、国民の命を預かる厚労省なのだから、積極果敢な政策を渇望している。若手よ、頑張ってくれ!
記憶の回路と緊張感
コロナワクチンの出現により、明るい未来が見えてきたということもあって最近、めっきり業務量が増えつつある。今後のことを考えると、動画の見せ方もビジュアル的に進化させなければならず、従来とは違った業務も増えており、やらなければならいことは山のようにある。
ところが、アレやコレやと処理をしている最中に、(はて? あれっ今、なにをやろうとしていたんだっけ?)と、忘れてしまう。先ほども電話に出たあと、メモを紛失した。さっきまで机の上にあったはずなのに、忽然と姿を消している。どこにいったのかと焦って探してみたところ、台所にあった。おそらくツマミ食いをしようとして、無意識にキッチンまでメモを持っていったのだろう。それを思い出せない己が情けない。
もともと脳の働きが鈍かったとはいえ、ここまで脆弱な脳みそではなかったはずだ。忘れっぽくなっているのはなぜだ!
大人よりも子どものほうが記憶力は良いとされている。どうして大人になるにつれ、脳の働きが悪くなるのか―――と考え抜いた挙げ句、次のような仮説が思い浮かんだ。
子どもは新たに経験したことをスポンジが水を吸収するように覚えていく。転んだら痛い、親に叱られたら怖い、褒められたら嬉しい、冬は寒い、夏は暑い、お腹が減ったらヤル気がなくなるなど、複雑な感情とともに、成長する過程で様々なことを経験していく。これらは世の中を生きていくために必要な知恵だ。
初めて行うことは、ある程度、緊張が伴う。親元から離れて初めて他人の輪の中に入った学校生活や、初めて社会人になって仕事を覚えなければならなかった時など、意識をしなかっただけで緊張感がある生活があったと思う。若いうちは初めて経験することも多いので、覚えなければならないことがたくさんあった。これが無意識に緊張感につながっていたのかもしれない。
経験したこともない未来のトラブルを勝手に想像し、怯えながら悩んでいたこともあった。例えば、若いときは、好きな男の子の裏の顔がとんでもないロクデナシだったらどうしようか、フラれるかもしれないとか、仕事では、ちょっとしたミスでクビになったらどうしようか、人間関係で面白くないなど、今、考えると、こんな些細なことで一大事のようになにを悩んでいたんだ、馬鹿馬鹿しい・・・とは思うけれど、経験が未熟なため、対応の仕方が分からず悩んでいたに違いない。悩めばあれこれ未熟な頭でも考え抜いて行動をするため、ある程度の記憶力は必要なのだ。そうしなければ、己の立ち位置が怪しくなる・・・とこれまたどうでも良すぎて周囲が考えていないことを勝手に想像できるのも若いうちなのだ。
ところが成人して年の数が増えてくると、大抵は様々な経験をする。それこそ立ち位置が悪くなったり、こっぴどく叱られたり、立ち直るのにも時間がかかるほど自尊心を踏みつけられたりする事象が起きてくる。
そうしてある程度の年齢に達し、泣いても笑っても明日は来る―――という普遍の事実を噛みしめる。こうなると、〝時が解決するさ〟、〝命までは取られやしないよ〟、〝公園では水がタダで飲める〟と、ちょっとのことぐらいでは動じなくなり、腹回りと比例して神経も太くなってくる。
トラブルにおいて対応の仕方や自分の感情をコントロールする術を知った大人は、緊張感がなくなっても平気なのだ。
つまり、経験豊富な大人は、子どもと違い、覚えることが少なくて済む。この緊張感のなさが、大人の記憶力を低下させている可能性があるかもしれない。
ということで、記憶力を強化させるには、まったく新しいことを始めるのも一案かもね、と先ほど開けた冷蔵庫をまた開けながらつまみ食い。
やっぱり大人って楽しい。