安田工業 相談役 安田之彦氏「お別れの会」開く

 

 安田工業の相談役を務め、令和7年9月13日に91歳で亡くなった安田之彦氏のお別れの会が、12月5日、福山ニューキャッスルホテル(広島県福山市三の丸町)で開かれた。親交のあった多くの業界関係者などが参列し、遺影に献花を捧げ個人との別れを惜しんだ。

 安田氏は、昭和10年生まれ。昭和35年3月、日本大学工学部機械工学科卒業後、同年4月に安田工業に入社し、取締役生産部長、乗務取締役を経て昭和51年に社長に就任した。

 また、日本工作機械工業会 理事、同 総合企画委員会委員長、同 経済調査委員会委員長、日本工作機械輸出振興会 理事など、長年、業界の発展に尽力してきた。これらの功績がたたえられ、平成6年に黄綬褒章、平成19年に旭日小綬章、令和7年に正六位を追贈された。

 会場内は安田氏の映像と共に、仕事に邁進する姿に加え、家族とプライベートを過ごす様子などが写されたパネルが展示され、参列者は懐かしみながら個人をしのんだ。

追悼の言葉「父 之彦を偲んで」 安田工業 代表取締役社長 安田拓人

 本日はご多用にもかかわらず、父であり、弊社相談役 安田之彦の「お別れの会」にご来臨を賜り、心より厚く御礼申し上げます。

 父は、創業者の意思を受け継ぎ、昭和51年に安田工業の代表取締役社長となり、33年間務め、その後も会長、相談役と最後まで最高の工作機械づくりに情熱を注いで参りました。

 「最大ではなく、最高を目指す。」という精神で、会社を大きくすることよりも、仲間と共に高精度な機械を創り挙げることに心血を注ぎました。

 とにかく機械が好きで、優れた技術や素晴らしい機械があると聞けば、世界のどこへでも自ら足を運びました。そこで出会う人々と技術談義に花を咲かせ、食事を共にし、親交を深めながら、新たな製品の着想や販売の道筋が生まれていきました。

 父は常に「人との良い出会いこそが会社を発展させ、人を豊かにする」と申しておりました。社員を大切にし、成長のためには本物に触れることが何より大事と、一流の設備や環境づくりにもこだわっておりました。

 おかげさまで、YASDAの機械は世界各地で高く評価されるようになり、父はそのことを大変喜びながらも、なお「もっと良いものを」と日々追求を重ねておりました。

 私どもも父の遺志を受け継ぎ、「最高」を追求する、ものづくりに一層の努力を重ねて参る所存です。

 ここに父が生前に皆様から賜りました数々のご厚誼、ご厚情に謹んで感謝申し上げますとともに、今後ともなお一層のご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

 

MOLDINO