「セラミックスに関連する技術を核に! 美しい洋食器への追求が築き上げたものづくりの情熱」 ノリタケカンパニーリミテド
ノリタケカンパニーリミテド(本社=名古屋市西区則武新町3-1-36)は1904年に洋食器の製造を目的として創立されて以来、セラミックスに関連する技術を核として事業を展開してきた。現在、自動車、鉄鋼などの基幹産業から、電子部品や素材分野に至るまで幅広い分野に製品や技術を提供している。
今回、ノリタケ本社がある「ノリタケの森」を訪ね、同社の技術と伝統を取材した。
1枚のディナー皿に込められた願い

その歴史に触れてみると、1876(明治9)年、海外貿易を志した元御用商人、森村市左衛門が、東京銀座に森村組を創業したことが始まりである。幕末に日本の金が大量に海外に流出するのを目の当たりにして危機感を持ったところ、知人に紹介された福沢諭吉から「流出した金を取り戻すためには海外貿易以外に方法はない」と聞かされたことが動機になったとされている。
市左衛門は15才年下の豊(とよ)をニューヨークに送り出し、6番街に小売店を設立、森村組が輸出する日本の骨董品、陶器などの雑貨品の販売を開始した。この店がのちの「モリムラブラザーズになり、森村組のアメリカでの販売拠点となった。

ちなみにこの写真にあるティーセットだが、素材は柔らかさが特長の“ボーンチャイナ”。ボーンチャイナとは、牛骨から精製したリン酸石灰を加味して焼かれた軟質磁器のことをいう。独特の柔らかな感触と透光性のある乳白色の優雅な生地が珍重されたが、同社では画柄の色彩効果を上げるため、旧来の常識を破り、乳白色から白色度の高いボーンチャイナの開発に成功、現在に至っている。
20年かけた苦難の改良が、のちの「削る」「混ぜる」「成形する」「焼く」「印刷する」――― セラミックスの製造技術を応用した4つの事業に発展

これが現在に至るノリタケ誕生のいきさつだが、美しい洋食器と工業製品にミスマッチを感じる読者も多かろう。同社がセラミックスの製造技術を応用して発展させるきっかけを説明しよう。
ようやく純白の洋食器の製造にこぎつけた同社だったが、問題があった。
「3・3素地」では、最も重要な25センチのディナー皿をつくることができなかったのだ。
皿の底が平らにならず、形が揃わない。これは同社にとって重大な課題であった。皿の後ろを削る技術が必要にもなる――――この課題解決に向けた研究開発だが、平らな皿をつくるためには、削るという方法ではなく、粘土や焼く前の成形時の形状の改良をすることで解決した。
テーブルに接する「糸底」と呼ばれる部分をきれいに仕上げるためには“砥石”を利用した。この砥石の技術は進化し、現在、製造現場で大活躍されている。
1914(大正3)年、国産初の「白色硬質磁器による12人具ディナーセット」20組みが完成し、米国へ向けて船積みされたのは、ディナーウェア製造の決意から20年にわたる歳月が経過していた。
さて、同社では食器の高級ブランドとして世界の食卓を豊にする「食器事業」の他に、読者の皆さまお馴染みの「工業機材事業」、「セラミック・マテリアル事業」、「エンジニアリング事業」がある。

ノリタケの森は見どころ満載! 大人も子供も楽しめるショールームも!
日本の洋食器の歴史を代表するノリタケの技術と美を直接拝見できるノリタケの森に一歩足を踏み入れると、名古屋の中心部とは思えないほど、森の育む自然の営みを体感できる空間が広がっている。
クラフトセンターでは、1・2Fが生地成形や画付けなど技術の枠を、3・4Fでは美術的価値の高い初期の作品「オールドノリタケ」を展示している。
ショールーム「SELABO(セラボ)」は、同社が洋食器の製造で培ったセラミックスに関する様々な技術を応用した工業製品の数々が展示されており、われわれの生活を見えないところで支えるノリタケの技術を知ることができた。

この製品の特長は、①従来の砥石に比べ弾性があり、ソフトな作用感で研削できること、②切れ味がよく、研削時の消費電力が低くなる――である。注射針にバリがないのも、同社の技術が活かされているからなのだ。
成長が期待されている新エネルギー分野向けの新製品・新技術の開発に注力している同社では現在、クリーンなエネルギーとして注目される太陽光発電の分野で開発を進めている。具体的には単結晶・多結晶シリコンを材料とする結晶シリコン系太陽電池の製造分野において、「材料」、「工具」、「製造装置」の開発に取り組んでおり、技術の可能性を広げている。