歯科医VS超硬指輪! ~タングステン指輪の危険性と歯科用工具~
現在、流行っている装飾品の中にタングステンでできたアクセサリーがある。
製造現場ドットコムの読者ならすでにご承知のとおりだと思うが、タングステン――すなわち超硬材である。金やプラチナよりも価格が安く、丈夫で錆びない超硬指輪は、最近、「大切な指輪はキズが付かないモノを!」とか、「この硬さは永遠の愛の象徴」とか、「ダイヤモンドに次ぐタフなやつ!」のような消費者の購買意欲を煽るキャッチコピーが市場に溢れ、流行っているようだ。
ところが超硬指輪について、その危険性にほとんど触れられていない。
今回、製造現場ドットコムでは、タングステン指輪の危険性とトラブルの対処法について、歯科医師・博士(歯学)である渋谷英介先生(渋谷歯科医院 東京都板橋区氷川町11-8)のご協力のもと、記載することにした。おそらく日本で初めての加工実験であろう。
タングステン指輪はこんなに危険!
先月、読者の方からこんな相談が寄せられた。内容は、『彼氏が超硬指輪をしたままスポーツをしていたら、剥離骨折をしてしまった。治療のため、指輪を外そうとしたが、どの工具を使っても切れなかった。消防署(119)、病院等でも外すことはできず、診察した医師には“指輪をしていると手術ができない。指輪がとれず、指先に血液が通らなくなったら指を切断する可能性がある”と言われた。なんとかならないか』という切羽詰まったものだった。
指を傷つけずに安全に指輪を切断する道具もあるというのに、それらが対応不可、しかも消防署も病院もお手上げという非常に深刻な状況だ。最悪の場合、指が壊死してしまう可能性がある。
骨折した指に食い込んだ超硬指輪をどうやって外すかと考えた。超硬といえばダイヤモンドに次ぐ硬さはあるが衝撃に弱いので叩き砕くという方法もあるが、骨折して腫れ上がった指には不向きである。
そこで目を付けたのは歯科用のダイヤモンド工具だった。歯科用工具は超硬並の硬さを誇るセラミック(ジルコニア)など難削材でできた義歯を加工するので理論上は削れるだろう。しかも、水をかけながら削るので熱対策もバッチリだ!―――と、思ってはみたものの人間の身体にかかわる重大なことなので安全面において細心の配慮をしなければならず、いい加減なことは言えない。歯科医はなんというだろうか・・・と悩んでいたところ、歯科医師・博士(歯学)である渋谷先生から、「歯科医院にある設備で対応可能です。ダイヤモンドポイント(歯科用工具名称)で5倍速モータを使用し、少しずつ削ることで解決するでしょう」という連絡をいただいた。渋谷先生によると、歯科医が扱っている最も困難な材料は、やはり、白金加金(プラチナと金を混ぜたもの)とジルコニアだという。
なお、相談者が遠方のため、相談者が住んでいる地域の大学病院等の情報を渋谷先生から教えてもらったので、相談者にはその旨、連絡をしておいた。
その後、相談者からは連絡がないのだが、歯科用工具がどの程度、“切れる”のかが知りたい。本当に安全に切断することができるのか?
ということで、購入した超硬指輪を持参し、渋谷歯科医院に向かった。
1mmの指輪を安全に削る! 消防署もお手上げだった超硬指輪に歯科医が挑む!
まずは人間の指に見立てた人参を用意した。そこに問題の超硬指輪をはめると、プラスチックでできたセパレータ(ここではペットボトルを適度に切ったもの)を指輪と指の代わりである人参の間に入れた。「セパレータがないと、指にキズを付けちゃう可能性があるからね」と渋谷先生。
渋谷先生は実験的にカーボンランダム砥石でできた歯科用工具を取り出した。金属を調節するときに使う製品だという。
ギュイ――――――――――ンッ!
条件反射的にこの音を聞くと全身の筋肉が緊張する。2秒もたたぬうちに渋谷先生は言った。
「キズが付きましたが、これは冷却しないタイプのものなので、今回のようなケースには不向きです。高熱で指が大変なことになります」。
―――――ここからが本番である。
取り出したのは歯科用ダイヤモンド工具“ダイヤモンドポイント”。水で冷却しながら削る。
キュインキュインキュイイイイイ――――ン、キュイキュイキュインキュイン・・・。
高音が鳴り響く。
渋谷先生の手元を見たいのだが、なかなか見ることはできない。
カメラのアングルをいろいろ考えながら写真を撮ろうと四苦八苦する記者。モタモタしているうち、「おっ、イケましたね」と渋谷先生の声が聞こえた。
ええっ!? 記者の想像を遙かに超える驚愕のスピードだ。
度肝を抜く速さに時間を確認すると、その時間は約1分5秒。
セパレータを確認するとちょっとだけキズが付いた程度で済んでいた。渋谷先生によると、刃が当たるので保護するセパレータは絶対に必要とのこと。
「指輪が切断できたからといって、ここで無理矢理、指輪を抜くことはできません。なぜなら腫れた指の肉が切断した指輪の間からハミ出していくので、指に傷が付きます。なので、反対側からも削っていかなければなりません」(渋谷先生)
なるほど! これは歯科医師でないと気づかない点だろう。単に指輪が切断できたから良いという問題ではない。人体に対して安全に取り外すことがなにより大切なのだ。今度は切断した指輪の反対方面を削っていく。
先ほどはお話をしながら加工をしたので、正確な時間は計れなかった。今度はノンストップで一気に削る。
キュインキュインキュイイイイイ――ン、キュインキュインキュイインキュイ――ン・・・。
今度はアッという間の47秒で切断することができた。
人間の歯の場合、2~30万回転で削るとのことだが、エアー駆動なのでトルクが弱い。押しつけると回転が鈍くなるという弱点があるが、歯科医院ではそれ以外にもモータータイプの工具がある。ちなみに今回、回転数は4万回転のものをギアで5倍にし、20万回転にしている。白金加金やジルコニアなどを削る場合に活躍するものだ。いずれも最近の歯科用工具は振動やビビリに強くできている。いわゆる高い剛性を誇るというやつだ。
「今回、問題の起きたタングステン指輪を切断するには、歯科のツールが役立つと感じました。刃の長さもぴったりですからね」と話す渋谷先生。
今回、歯科医師ならではの細かい視点が活かされた。一見、関係のない分野も見方によれば十分に活躍できる。このような発想は、どんな産業でも当てはまることだと感じる。
医工連携ないしは技術転用のきっかけは、こういった細かなことから生まれてくるのかもしれない。
本来、歯科用ツールは超硬材料を加工するものではないが、このように緊急を要した場合、歯科医院で対応できることが証明できた。
全国の消防署並びに医療関係者が参考にしていただければ幸いである。また、これほどまでに危険なタングステン指輪については、注意喚起が必要であると強く感じている。何事も“転ばぬ先の杖”というところだ。
「いやあ、仕事柄、人間の口の中というデリケートな部位で金属の除去を行っていますが、さすがにタングステン鋼は経験がなかったな」と実験を終えた渋谷先生の爽やかな笑顔が印象的だった。
ご協力いただき、ありがとうございました。