文句ばかり出るのは不安に浸かっている証拠

国内市場の縮小に伴う仕事そのものの減少は、経済的な問題を引き起こし、精神的にも肉体的にも休むことが困難になる。これがストレスにつながっていくわけだが、ストレスは胃を弱めるなど肉体のダメージはおろか、時間が経てば心も蝕ばんでいくからやっかいだ。

不安要素の前をあれこれ並べては心配ばかりしている人もいる。その不安のベクトルは、世間が悪い、政府が悪い、企業が悪い、と全てナニかのせいにしていることも非常に気になる。未来を「暗いもの」と位置づけ、幸せを感じることができないのはなぜだろう。

不安に浸かっている人の中には、その不安を周囲に見透かされぬよう凶暴な態度に出るものもいる。自分よりも弱そうな人物を見つけて叩けば、優位性を示せる――と本気で考えている幼稚な考えの持ち主であろうと想像する。私の場合は女性であり、大手媒体でもないので、この手にごくたまに遭遇することがあるが、一度だけ不快感を示したあとはスルーすることにしている。

さて、世間や環境の悪口ばかりをいう人の多くを拝見していると、心配で心の中がいっぱいでありながら、不安を払拭するための方法を探そうとしていない。モチベーションを上げるための努力もせず、やってもいないのに「それをやったからといって現状は変わらない」と、たとえ努力している人々が目の前にいたとしても、一言水を差さずにはいられないのだ。

社会に対しての敵意と憂うつにコントロールされた人々は未来のための努力をするエネルギーが枯渇しているようにも感じられる。いつも不安で将来の心配ばかりしているから心身ともに疲れきっているのだと思う。疲れきって、にっちもさっちもいかなくなっているから、惨めな自分にしたのは周囲だ、環境だ、会社だ、あいつだ、家族だ・・・と恨みつらみをいいたくなる。だからますます孤立し、孤独感に苛まされ、不安や心配が溢れて、みだりに迎合したり、何も手につかなくなるのだと思っている。

成功者といわれている人の共通点は、どんな時代であっても、逆行でも「信念」を貫いている。何度失敗しても、笑われても、「成功する」ことを大前提として動いているし、失敗しても「うまくいく」ことを当たり前として捉えて前に進んでいるように感じる。

世の中には動き続けるものは動き続け、止まるものは止まり続ける―――という慣性の法則があるのだし、どうせなら楽しく動いていたほうが徳だと思っている。

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