中小企業への理解と社会の難しいところ
中小企業の良さを理解してもらう・・・という動きが活発化されているが、そこで働いている人間の生活に対して議論が少ないのがとても気になる。
ここ10数年で個人のライフスタイルや企業スタイルも多種多様になった。日本を取り巻く経済環境も大きく変わり、国際競争力は激化している。
以前、「勝ち組・負け組」という言葉が流行ったが、今じゃ勝ち残るよりも生き残ることが先決だという厳しい世の中だ。大企業だから安定、ということもない。企業の善し悪しは規模では決まらない。
さて、中小零細企業への理解を若者に深めてもらおうという動きも見られるが、その前に抜本的な問題を挙げることにしよう。
具体的にいうと、将来マイホームなどを購入するなど、人生において重大な決断をする場合、銀行などは社会的なステータスによって明らかに対応を変えるという事実がある。
この違いをすでに若者は理解していることを忘れてはならない。若者が理解できないのは中小企業よりも社会の仕組みなのだ。
どんなに優秀な人材でも務めている会社が中小零細の場合、厳しい現実を目の当たりにするという事実。実際に経歴をみても非の打ち所のないような方から「親の経営する会社に転職したらマンションが借りられなかった」という話を聞いたことがある。
技術力が高く、社長の手腕もある元気な中小企業に優秀な若者が入社して、将来、人生の重大な決断をしたときに社会は何を基準に判断するのだろうかという点はこれから議論が必要であろうと考える。
すでに将来を担う若者は素晴らしい技術を持った中小企業が多く日本にあることも認識しているし、十分中小零細企業の理解もしていると思うのだが、どういうわけか中小企業というと一部の顔色の悪い経営者とこれまた一部の産業に疎い政治家やタレント学者がこぞって「世の中は中小零細企業の良さを分かってない!」と声高に叫び、煽るに煽っている印象がある(もちろん、そうでない人もたくさんいる)。
これについては、中小零細企業=弱者のイメージがあることをいいことに、中小零細企業の問題を解決する――ということよりも、弱者を救う素敵なオレ(わたし)を見せつけることが目的なんじゃないかと疑りたくなるときもある。せめて「中小零細企業の良さを分かったところで社会はどう対応するのさ」というところまで突っ込んで欲しいと思う。
一方、重要なことだが、中小零細企業ありきでモノを考えると、能力のある会社と他力本願の会社が中小零細企業というワクの中でグチャグチャになってしまうという危険がある。有能な会社は伸びる可能性が高いわけなのだから、そういう会社をもっとバックアップするべきだろう。悪い会社に引っ張られて元気の良い会社が貧することがないよう気をつけなければならない。また、景気の善し悪しに関係なく業績が悪いとするならば、一概に、悪いのは社会のせいではないということを付け加えておこう。
今、変えなければいけないのは中小企業へ対する認識じゃなく社会だ。
根本的な問題を解決するためには考えなければならないことがまだまだある。
最近はマジメな顔をした有識者がまじめな顔をしてデタラメを言うこともしばしばあるので気をつけなければならないと思っている。