読解力のない大人が子どもの想像力を奪う
「はだしのゲンを閉架に 松江市教委が要請」というニュースを読んだ。
現実の汚いものから目を背け、子どもたちを現実逃避癖のあるお花畑の住人に育て上げるつもりでしょうか。たしかに暴力的なシーンがありますが、この漫画は作者の体験に基づいて描かれたものですから、貴重な資料ともいえましょう。漫画ですのでデフォルメされているでしょうが、幼い子どもからお年寄りまで、吐き気がするほど悲惨な経験をなさった方々がいたのが日本の現実なのです。
重要なことは、この漫画に描かれていることが、単に戦争の悲惨さだけにスポットを当てたものではないということです。想像を絶する混乱期に、人間がしたたかに、たくましく生き抜いていく、という姿を描いています。目を覆いたくなるほどの人間の残酷さを背景に、主人公の正義感が光っているのです。
ご飯が満足に食べられないくらい貧乏でも、勉強する機会に恵まれなくても、友情や家族の温かさは人間の生きる糧になるんだということを、しっかり描いています。陰湿なイジメや暴力に対比するのは、「他人を思いやる心」です。私はこの漫画のキモはココだと思っています。
中には歴史認識がうんぬん、という方もいらっしゃるでしょうが、成長すれば様々な疑問が出てくるのは当然であり、なにが正しいのか自分で調べて吟味すればいいことだと思います。人生、なんでも世の中任せではいけません。たまには世間の流れに疑いを持って自ら進んで調べることも必要でしょう。そうして、自分なりに解釈すれば良いだけの話です。
荻上チキ氏がTwitterで今回の閉架騒動に触れているのを拝見しました。
そこには「1巻から10巻までを見ると、時代ごとにだんだんとエスカレートして大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている状況であり、第1部までとそれ以降のものが違うものということではなく、「はだしのゲン」という漫画そのものが、言い方は悪いが不良図書と捉えられると思う」と松江市議会議事録から引用した文言を掲載していました。この議事録はネットで確認することができます。
この不良図書と言い切った方は大人だというのに、この漫画のキモには触れず、暴力的なシーンやおゲレツシーンばかりに目が行ってしまったようです。読解力が乏しいとしか言いようがありません。いつの時代も真実や重要なことは大抵隠れたところにあり、それらを見つけるには洞察力が必要になります。表面ばかりしか見られない洞察力の乏しい大人が教育現場にいることのほうが、それこそ言い方は悪いのですが有害教育と捉えられても仕方がないと思います。
漫画に出てくる町内会長(鮫島伝次郎)のような大人を思い出しました。
最近では、広島平和記念資料館が展示してある被爆者再現人形の撤去を巡り議論が起きました。リアルすぎて気持ち悪い、トラウマになるという理由からのようです。
経験のない者がその事象を想像しようとするとき、ある程度のリアルは必要だと考えています。そもそも、広島平和記念資料館という場所は、遊園地に行ってアトラクションを楽しむような場所ではありません。どこか勘違いしているのではないでしょうか。
なにより、実際に原爆の被害を受けた方は、多くの方が火に巻かれ皮膚が垂れ下がっても歩いているというものすごいことになっているのです。それを「リアルすぎてトラウマになる」とは、被害に遭った故人やご家族に失礼なことだと思いませんか? 私がもし、その時代に生まれていて家族や友人がなんの落ち度もないのにそのような姿になったら「気持ち悪い」なんていっていられませんし、自分がそのような姿になったとしても、他人に「あんたがいると気持ち悪い。見たくない」と言われたらものすごく悲しくなります。
このままでは、そのうち戦争はおろか、近年起きた震災の悲惨な状況も、凶悪事件に関するニュースも「トラウマが残る」からといって描写も不適切だ、となりかねない。そうなると事実を継承する手段が失われつつあるということで、その影響は大きいと感じています。なにより個人の考える機会を外すのは問題であり、文明国のやることじゃない。
人は様々です。同じ出来事に遭遇しても、同じ感想を言うとは限りません。
いろんな感情を持って当たり前なんですから。
ちなみに私が生まれて初めて手にした劇画タッチの漫画は、はだしのゲンでした。ピアノ教室に置いてあったのを読んだのが最初です。学校の図書館にもありましたから、自発的に手に取って読みました。この漫画は経験したことのない戦争を知るキッカケになり、漫画から戦争の悲惨さを感じ取ったわけです。お陰様で残酷なことや、きれい事をいって表面だけ取り繕う人を好まなくなり、今ではたくましく生きております。
作者の中沢啓治さんの「はだしのゲン わたしの遺書」の中に、こんなフレーズがありました。
――いまも、生きるつらさに直面している人は大勢いると思います。そんな人達に、ぼくは、歌を歌えと言っています。悲しい、悲しいと思ってばかりいては、落ち込んでしまいます。そんなときゲンは、何がなんでも生きるために、バイタリティーのある歌やふざけた替え歌を、わざと大口を開けて歌います。みなさんも、ぜひそうしなさいとぼくは言いたい。「負けてたまるか」という気持ちを奮い起こして、生き抜いて欲しいのです――
生きているといろんな辛いことがありますが、辛いときに勇気とパワーを与えてくれたのは、この漫画でした。感性の豊かな子ども時代に読んだこともあってか、私にとってそれだけ影響力があったのです。
「踏まれても踏まれてもまっすぐに伸びる麦のようになるのだ!」