権利の主張以前の問題
びっくり仰天たまげたニュースが流れた。
いい年をしたフリーカメラマンが報道の自由を主張して、国とは呼べない凶悪組織の巣に行こうとしていたアレである。今回は権利の主張以前に感じたことを述べたいと思う。
今回の場合に限って(←ココ強調)、外務省の人命を優先した措置は当たり前だと思った。国は国益と人命と国民の財産を守る義務がある。権利の主張も死んだら終わりだ。
すでに危険なことはあの残虐なニュースで分かっているわけだし、凶悪組織は日本人をみたら殺すと主張している。国際貢献もしていたベテランの後藤さんですらあのような残念な結果になった。日本人は安全だという神話はとっくに崩れたんだ。
それでも今、行くということは、まさに自殺行為に等しい。
お笑いタレントさんが、Twitterで「台風の時に増水した川の様子見に行くなって親に習わんかったんかいな。自由と勝手は違うって先生に習わんかったんかいな」とツィートしていたことが話題になったが、わたしもまったく同意見である。今更ジローで飛び込もうとしたフリーカメラマンの彼は、なにを訴えたかったのか。空爆ドッカンドッカンやっている所でマトモにシャッターを押せるとは考えられない。写真がブレブレだと売ることもできないだろう。つまり、写真を撮ることよりも他に目的があったんだろうと邪推してしまう。経験を積んでいれば、引き留められることが想像できるわけで、本気の本気で行くつもりなら、おそらくこっそり行くだろう。この点からも彼の本気度が見えない。
身も蓋も無い言い方をすれば、今現在、凶悪組織の巣がどんなことになっているのか、われわれは彼が行かなくても十分に承知している。時期を待てない理由があるのか。
それ以前に最も苦々しく思ったことがある。
彼のブログには、「内戦の写真取材に行きたいが資金がない。法人、個人問わないので70万円寄付してくれるなら、明日にでも取材に行けるので連絡を待っている」旨の記述があった。いい年こいて立派な主張をするわりに肝心の取材費がなく、金銭を世に恵んでもらおうとする姿勢が実に奇妙に映ったのだ。
フリーはよほどの著名人は別として、金勘定が厳しい。
取材費用の捻出のため、とにかく働いているイメージがある。頭を下げまくったり、時には自尊心が傷つくこともあるだろうが、主義主張を世間に示したいならば、まずは取材費用を己の手で稼ぐことを考えるはずだ。そうして得た金で取材をし、その取材の正当性をしっかり世間に示すだろう。どんなに小さい媒体だって取材費用を稼ぐ努力はしているものだ。
このお騒がせカメラマンには、そういった苦労が見当たらない。
目立たぬ苦労は他人任せで、輝かしい表舞台だけを欲するなんてド厚かましいにもほどがある。たまにいるんだよ。こういうタイプの表現者。
彼のブログには危険地帯の写真はあるものの、付随した文章が“己の思想”のゴリ押しばかりが目立ち、現地の現状を示すものとは違っている印象を受ける。それなのに、「海外の仕事をしたいから金を恵んでね」ともとれる発言に嫌悪を感じずにはいられない。
世の中のためになるんだから賛同してくれるよね的な、肝心要の金銭は他人任せで自ら稼ぐ努力をおそろかにしているのが薄っすら伝わってくる。フリーカメラマンだから、報道の自由があるから、という正当性を世間に示しつつ、金を無遠慮にねだる無神経さが鼻につくのだ。世の中の動きを無視し、自己完結している姿が実に奇妙に見えた。世界中の人々が恐怖におののいている中、自己正当性を世間にゴリ押ししている姿に腹立たしさを覚えずにはいられない。現在、なにが起こっているか、を世間に表現し、利益を得たいのならば、現状ならまだ方法はあるはずだ。
話は変わって、今回の件で、テレビでたまたま拝見したけれど、報道の自由について語っている老齢の解説者がいた。「ボクは過去にも何度も危険地帯に行った。外務省ごときが自由を奪うとは何ごとだ」旨の発言をしていたけれど、今の時代を分かっていないと思った。
あなたが活躍していた時代は、「わたしは日本人です」といえば、まだ安全だった時代だ。今は、国とは呼べない極悪殺人集団が「日本人をみかけたら殺す」と言っているぞ。
今回の場合、権利の主張の前に考えることがあるのではないか。
報道の自由などは、また別の議論になろう。
まっとうな世界経済の動きとは別なところで世界を揺るがす問題があるものだから、これらが製造業の生産活動に今後、どういった影響があるのか気になるところだ。