小宮義則 特許庁長官に聞く――グローバル化と知財戦略 今後の課題
第四次産業革命という名のもとで、IoT、ビッグデータ、AI等の新しい技術が急速に加速している。様々なものがネットを介してつながることで、新たな価値の創出を生む――それは画期的で斬新なビジネスモデルを生むことにもなるが、その一方で、グローバル化は勢いを増し、企業規模を問わず、熾烈な国際競争に巻き込まれることは必至である。
そこで、競争力強化のための鍵を握るのが、「知財」だ。知的財産権は攻めのビジネスに必要な槍でもあり、技術やノウハウを守る楯でもある。
このような時流を背景に、企業がビジネスを拡大し、利益を確保するためには、どういった手段が必要なのか。第四次産業革命を視野に入れた知財システムの在り方や課題等を特許庁長官である小宮義則氏にお話を伺った。
世界最速・最高品質の審査システムの実現を目指して
人や組織が生み出したアイデアや発明を、財産として守ってくれるのが「特許権」だが、この知的財産権は、独占を認める一方で、公表した発明をヒントに新たな技術開発を促進する制度でもある。今では、軽量・小型化が当たり前となった情報家電の目覚ましい進化も、こうした制度があったからこそ。
ところが、日本の技術と経済発展のための重要な役割を担う制度でありながら、特に中小企業においては、権利を活用しない結果、コピー商品が広く流通してしまうことや、特許料の未納や存続期間の満了等からうっかり特許権を消滅してしまうこともある。
小宮氏は、「中小企業の一部に特許証や商標登録証を額縁に入れて飾ったままにしている方がいるのですが、これはあまり意味がありません。自分の特許技術やブランドを他人が勝手に使っているとしたならば、たとえば警告状を送るなり、最終的には裁判で争うくらいの覚悟が必要だと感じています。もし、技術や自社ブランドマークがコピーされると資金を投入してせっかく育ててきたブランドや技術を用いたサービスが、思うように売れなくなってしまいます。特許証や商標登録証は、使わないと意味がありません」と話す。
さて、特許庁が所管する知的財産権は、①特許権(発明)、②実用新案権(考案)、③意匠権(工業デザイン)、④商標権(ブランド名、マーク等)があるが、この4つの年間出願件数だけでも、膨大になりそうだ。
しかしながら、なぜ特許庁は東京にしかないのだろう。これについて小宮氏は、「地域ごとに特許庁をつくって下さいという声もありますが、特許の審査、というのは、技術が多種多様にわたり、専門性がないと良い特許審査になりません。東京に集中をさせておくことによって、全国レベルで一定のロットが生まれ、一人の審査官が特定の技術に習熟できるので新技術が出てきた時にも、しっかり審査ができるのです。全国に分けてしまうと、一人が広い分野を担当することになる。例えば、機械を知らない人に、機械の特許審査をされたら、申請した方はたまりません。そういうことが起きないよう、東京にまとめているのです」とのこと。
とはいえ、地域イノベーションの促進も重要課題だ。そのため、地方在住の出願人からの要望があれば、年間を通じて臨時審査官が全国各地に出張し、出願人と面接をする出張面接審査を行っている。さらに特許庁では、知的財産権の普及啓発とともに、出張面接審査を行う『巡回特許庁』も実施しており、今年度は、昨年度の6都市から13都市に増やして開催する。
ところで、東京の次に特許出願が多いのは近畿地域だが、知財についての拠点を作ってほしいという強い要望を背景に、今年の10月までに、(独)工業所有権情報・研修館の近畿統括本部(INPIT-KANSAI)を開設することが決定し、ただ今開設準備作業中とのこと。ここには専門家を常駐させて、知財に関する相談を受けるとともに、特許庁審査官による出張面接審査、テレビ面接審査が実施できる部屋も設けた。この開設により、近畿圏の人がわざわざ東京に行かなくても、知財に関する様々なサービスが受けられるようになる。
とはいえ、気になるのは“先立つもの”であろう。特許料や審査請求料がどのくらいかかるのか、というと、通常(平均的な場合で試算)は約39万円、国際出願に係わる手数料は約27万円である。なかなか財布に厳しい金額だが、小宮氏は、「例えば中小ベンチャー企業・小規模企業を対象とした『減免制度』を利用すると、審査請求料・特許料は約13万円、国際出願に係わる手数料(国際出願促進交付金による交付金を受けた場合を含む)は約9万円と、三分の一に軽減されます。この減免制度を利用する方は年々増加傾向にあり、平成28年度の速報値では約6万件の申請を受理しており、平成23年度の4倍に増加しています。ぜひご利用ください」と、減免制度の利用を訴えた。
また、審査スピードにも注目したい。①実施関連、②外国関連、③中小企業、個人、大学等、④グリーン関連、⑤震災復興支援関連、⑥アジア拠点化促進法関連に該当する場合は、審査の着手時期を通常に比べて早める早期審査制度を実施している。早期審査では、通常、審査請求をしてから、最初の回答がくるまで約10カ月かかるところ、これを平均3カ月以内に縮めることができるのだ。フットワークが強みの中小企業には嬉しい仕組みである。
「知財を活用した海外ビジネス展開を支援において、専門家派遣、海外での模倣品に対応するための支援、あるいは海外での知財訴訟に備えるための保険等、実際に役立つ仕組みを用意しています。意外と知られていないのですが特許庁は中小企業に対して手厚い支援を行っています」(小宮氏)
特許庁が目指すのは、世界最速・最高品質の審査システムの実現だ。平成27年度に権利化までの期間は平均約15カ月となっており、主要国の中では高いレベルにあるが、引き続き向上を目指す。
第四次産業革命を視野に入れた知財システムの課題
第四次産業革命の名のもと、著しくグローバル化は加速し、米欧中韓の制度・運用との調和を図るとともに新興国においては信頼できる知財システムの整備が急務とされている。日本がグローバルな経済活動を円滑にするには、地域や中小企業の成長力を強化することも重要だ。かつては自分の強みを守るため知財を活用したクローズ戦略といった一次元での知財戦略が求められてきたが、数年前から知財と標準の組合せによるオープン・クローズ戦略が一般的となってきた。第四次産業革命の下では、この知財と標準によるオープン・クローズ戦略に、AIやIoTの進展により増加するデータを加えた三次元の複合戦略が求められる。ITの普及により一製品あたりの特許の数が急増し、特にソフトウェア関連技術を利用する製品には数千~数万という膨大な数の特許が関与している。しかも関連する特許を有する権利者も多様化し、利権関係も複雑化している。他社の権利を知らずのうちに侵害している可能性も高まっているのが現実だ。実際、米国は2015年の特許訴訟が2014年に比べ13%も増加しており、過去最高となった。最近では、訴訟をチラつかせ、法外なライセンス料の支払いを求める悪質で非実施主体の、いわゆる“パテントトロール”が社会問題化している。大げさな言い方をすれば、いつ地雷を踏むような出来事に遭遇してもおかしくないのが現実なのだ。
ところが、経営資源やノウハウが乏しい中小企業にとって、知財紛争に対する対応が容易ではない。高すぎる裁判費用や人的負担を考えると、訴訟対応のハードルは高い。紛争の長期化はビジネスに大きなダメージを与えるのは必至である。
「早期での特許の紛争解決を望む中小企業等のために、裁判とは別の簡便な紛争解決手段が必要」との認識を示す小宮氏。特許庁では現在、ライセンスの協議が整わない場合や特許侵害をめぐる紛争を対象とし、中小企業等の請求に基づいて調整を行うADR(Alternative Dispute Resolution:裁判以外の方法による紛争解決手段)制度として「あっせん」制度について、既存の民間ADRとの関係を整理することを前提に、制度設計を検討している。
様々なつながりにより新たな付加価値が創出される産業社会(Connected Industries)の実現には、安心してデータの利活用ができる仕組みの整備が必要だ。しかしながら、データを不正な利用から保護する仕組みは十分ではなく、データの利用権限の法的位置づけは契約に委ねられているが現状である。これについては、経済産業省の経済産業政策局等が、データの不正取得の禁止等のデータの保護のための法整備や、データの利用権限に関するガイドラインの策定等を検討している。
一方、データそのものは特許にはならないが、データ構造ならば特許権の対象とすることができる。このため、その審査上の取扱いの明確化は急務であるが、具体的にどのようなデータ構造を備えていれば特許の対象になるのか分かりづらい。そのため、特許庁は、今年の3月に特許の対象となるデータ構造の事例を公表している。
加えて、IoTとなると機械とネットが繋がってしまうので、自らの事業の方法がネットを通じて吸い上げられることを心配する向きもあるだろう。小宮氏によれば、「世界の中で日本が最もまっとうなビジネスモデル特許が取れる国」とのこと。日本の企業が生み出した事業の方法を、IoTを使ってより強力な手法のビジネスモデル特許とすることが一つの解決策だろう。特許庁は、今後、審査基準の一層の明確化などを進める予定とのことである。
第四次産業革命のもと、ビジネス環境は大きく変わった今だからこそ、知財の重要性に関する認識を高めなければならないだろう。