丸いモノはなんでも削る! イケメン兄弟の製造現場は凄かった!
イ・・・イケメン・・・!
しかも削りの技術が素晴らしいという。ううむ、これは行かねばならぬ―――。
カバンに期待とカメラを詰め込み、いそいそと向かった先はイワキ精工(社長=鈴木匠氏、東京都大田区)。工場の入り口付近には飼っているキジ柄の可愛い猫が出迎えてくれた。子猫もチョロチョロしている。一見、のどかな光景だが、ドアの向こうからヘヴィなメタル音楽、デスメタルが溢れ出ていた。激しいドラムとギターのギュイイイーン音が町工場特有の雰囲気とこんなにマッチするとは夢にも思わなかった。
「こんにちは」と恐る恐るご挨拶すると、中から出て来たのは、本当に笑顔が素敵な男性2名だった――――。
「うちの得意なモノは丸いモノ。丸いモノならどんなものでも削ります」
と話すのはイワキ精工社長の鈴木匠氏。弟の毅氏とこの工場を切盛りしている。工場内には、母親が作ってくれたというお弁当が机の上にあった。男所帯で乱雑だと思いきや、軍手が取り出しやすいようにきちんと整理整頓されている。
「騙されたんですよ」と笑う匠社長。
当時、匠社長は料理人になりたくて15歳からレストランで修行をしていた。給料は約7万円。ある日、父親から「30万円やるから仕事を手伝って欲しい」と要請があった。
「俺はもう年だからNCがイマイチ分からない。こういうのは若い子のほうがいい」ということだった。
「オヤジはNC制御だから簡単だぞ、ラクだぞ、キツくないぞ、好きにしていいぞ、ってそそのかしたんです。30万円も貰えるならと、即、料理人になるのを辞めました」(匠氏)
そうしてイワキ精工に入社した匠社長。ところが肉体労働なんてない、といっていた父親の嘘がバレる。他にも職人さんが数人いて旋盤を回していたが、そんな甘い仕事ではなかった。当時はハーレーのカスタムパーツをつくっており、仕事は順調だった。必然的に1歳違いの弟、毅氏もこの道に進むようになり、匠社長が27歳になった頃に父親は引退した。父親が引退したとき、職人も辞めた。イワキ精工に残ったのは工作機械とローンだけ。こうなりゃ兄弟揃って仕事をせっせとこなすしかなかった。
今では切削加工を極め、引き受け手のない加工が“たらい回し”にされた末、行きつく先のイワキ精工まで言わしめている。
切削工具もつくっている。汎用品は毅氏が担当した。三菱マテリアル製の大きい工具は14インチもあった。工具で工具をつくるとは、なんとも不思議な話だが、「バイトがイカれる前に削っちゃえばいい」と毅氏は笑った。
近所の呑み屋でくじらの油臭がしたら、「あいつモリブデンを削ったぞ!」って分かるんだ
この円筒状のものは全て削り出しでつくられている。機械加工を専門に行っている読者の皆さまだとお分かり頂けるだろうが、これだけ長いシロモノを削り出すだけでも通常難しいとされているが、よく見てほしい。この円筒状のモノにはなんと底があるのだ。これが、非常に難しい加工であることは一目瞭然である。手の平でスーッと撫でると、すべすべの触感がクオリティの高さを物語っていた。
切削加工は熱との戦いでもある。粘いステンレスやアルミなどは刃先にまとわりついて面品位を落とすうえ、工具の寿命にも大きく影響する。工場の設備に独自の知恵を注入して品質をあげることが、さらなる得意先の確保にも繋がる。「切削加工って油がとても重要なんですよ。刃先に油分が残って気化熱を利用するには油と材料の相性もある。くじらの油はモリブデンにいいし、タップには酸化したサラダ油がいい。なので天ぷらを揚げたあとの油って使い勝手がいいんですよ」(匠社長)
「近所の飲み屋で、くじらの油のにおいがするヤツを見かけたら、あっ、あいつモリブデンを削ったな! ってすぐ分かっちゃう(笑)天ぷらのニオイがしたらタップの仕事・・・ってな具合に油のニオイってなかなか取れないからバレやすいんだ」(毅氏)
メディアの多くは景気が悪くなると町工場を取材するけど経営者のしょぼくれた顔が撮りたいだけなのはどうかな
今年で27年目を迎えるイワキ精工。名前の由来のとおり、故郷はいわき市。今回の震災で故郷がなくなってしまったという。「大田区は町工場が集積しているけれど、このあたりの創業者は仕事を求めて上京してきたオヤジたちが旋盤はじめて、頑張ってきて、会社を興した人がほとんどなんですよね。同郷の人や同じような境遇の人たちが身を寄せ合ってコロニーをつくり、仕事をこなしてきた。それがいつしか、横の連携が強くなって、今では「なっ!」で、お願いごともなんでも通じる文化に成長した。だから皆、フットワークが軽いんです。海千山千で時代をくぐり抜けてきたオヤジたちの知恵が大田区には詰まっている」(匠氏)
「年配者を大切にしないから優秀な技術が海外に流出する。問題は年齢ではなく、優秀か否かが問題なのに」(毅氏)
実は以前、数度、このイワキ精工にテレビ取材が入ったことがあった。円高の影響についての取材だった。冒頭から、“町工場は景気が悪いはず。仕事に困っている”ありきの話しぶりだった。匠社長は先方に言った。
「うちは困ってないですよ。ちゃんと仕事ありますし」
先方の「え? でも円高で困ってるんじゃないですか? 困ってますよね?」という話しぶりに、景気が悪いという画を撮りたい様子がありありと分かったという。後日、テレビ放映があったときに兄弟は驚いた。経営が困っていない理由を説明したはずなのに、ほとんどのコメントがカットされていたという。寂しい町工場の印象だけが残ったと眉をひそめた。
「よそ様にできない加工を引き受けるからこそ収入を得ている俺たちです。時代は変わったんです。なんでも売れる時代じゃない。人と同じ加工レベルじゃ生き残れないんです。俺たちは、加工のクオリティには自信があります。おそらく、仕事も他より速いでしょう。だから仕事があるんです。仕事が取れるように日々努力してきたんです。だけどあんまり早く仕事をこなすと足元をみられちゃうという困った風習があるのが玉にキズ」(匠氏)
たしかに加工現場の根強い問題のひとつに、なぜか早く仕事をこなすと「だったらその分安くしろ」という風習がある。独自の試行錯誤の結果、品質を保ちつつ加工時間を短縮しても顧客から値切られるという痛い仕打ちだ。現在、加工現場を取り巻く劣悪な商慣習が少しずつ改善しつつあるようだが、それでも安易にコスト安に走る傾向が拭えない。
「今こそ日本はものづくりの根本をしっかり考える必要があるでしょうね」(匠氏・毅氏)
ものの流れを無視して、安易に安ければいい的な発想でものづくりが進むと、見えないところで弊害が出てくるというものだ。
現在、兄弟が懸念しているのは、鉄の質だ。
「20年前と鉄の質が違う気がします。本当は鉄というのも2年くらい寝かしておくと歪みが取れるんです。暑(熱)ければ膨張するし、寒(冷)ければ縮む。鉄は数年寝かしておくことで、品質が高くなるんです。現在、鉄を在庫しなくなったようで、フレッシュな鉄ばかりが出回っています。本来の製品の剛性を追求するなら鉄の存在をもっと大切にしても良いと痛感しています」(匠氏)
工場はクリエーティブ! 自由な発想で仕事ができる空間です
鈴木兄弟が手掛けているのは、これだけじゃない。アクセサリーもある。ヘヴィなデスメタルが好きだ、という匠氏のペンダントトップはドクロだった。チェーンは猫の手。なんとも斬新でスパイシーな組合せに、心がときめく。もちろん、これらのアクセサリーの数々は彼らがデザインし、製作している。
驚いたのは、デザインの斬新性はもちろんのこと、その細かさである。このドクロには、ドクロ専用の歯まで製作してるのだ。ここまでくればもう、“加工を楽しんでる”としかいいようがない。記者もこのアクセサリーが猛烈に欲しくなった。 町工場がキツイだの汚いだのというのは、昔の話だ。
最新の設備とアナログである人間の知恵がブレンドされれば、楽しく好きなように仕事ができる。クリエーティブな発想を持てば、いくらでも自分の好きなようにアレンジできるのだ。それをやるかやらないかは、自分次第だということ。
口には出さないけれど、いろんなご苦労があったと感じる。ちなみに一番苦労した加工材料は? との問いに「ハステロイです!」と即答した。粘いうえ、硬いという手こずる難削材だったというが、難削材を制した鈴木兄弟は、「どんな材料でも丸いモノは加工します! それがウチの強みですから」と笑った。