ねじ工場の底力、ここにあり!
東武伊勢崎線谷塚駅を降りて商店街を抜けると大きな通りに出る。歩道橋を渡ると、風景が一変した。きんもくせいの香りが漂うのどかな風景の中、しばらく歩いて行くと、“ねじや”の垂れ幕を見つけた。映画「ガール・スパークス」の舞台にもなった浅井製作所(社長=浅井英夫氏、本社:埼玉県草加市谷塚上町449-7)である。
たった1人で生産するねじは、1日に約50万本――――。
工場の中の機械は可動部が剥き出しであり、まさに工場全体が命を持って活動をしているようにも見える。
「不良品は出さないよう心がけ、決められた納期は守る」(浅井社長)
どんな極小ロット品でも機械的に出来ない形状を除きロット数にて断ることはなく、製作可能か否か値段等々の回答も問合せがあれば、即、回答できるフットワークの軽さがウリの浅井社長を訪ねた。
昔の機械のほうが壊れないんですよね
浅井製作所は、父である浅井伸一氏が創業した会社だ。浅井社長は高校卒業後、父の会社に当然のように入社した。当時の様子を「子供のころから親父の仕事を見ていたので、他の選択など考えられなかった。本当は中卒で仕事をしようと思ったけれど、さすがにそれは親が止めました」と話す。平成9年、病に倒れた父が病気療養を余儀なくされたのを機に経営をバトンタッチした。
タッピングねじや、精密機器用の0番ねじを製作している同社のイチオシ商品は、低頭よりもさらに上をいく超低頭ねじ「AHN」で、これは頭部高さを約70%カットし、最近のトレンドである省スペース化や軽量化などに貢献している。
もう一つは、この省スペースや軽量化に加えて高い耐食性を備えた低頭ねじ「TILO」。この特長は、鉄やステンレスの約60%という比重のチタン材を使用し、さらに頭部を抑えることで省スペース化と軽量化を実現したことだ。腐食を許さない精密ロボットなどに小さいながらもねじの底力を発揮している。
ところで、1日に50万本を量産する同社だが、ねじ頭をつくる圧造機、ねじ山を立てる転造機がフル稼働している。削りが無い分、切り粉が飛び散ることもない。標準ねじ頭の「+」は、圧造しかできないとのこと。
同社の工場の設備は古いが、これが良い仕事をする。浅井社長は、機械を指さし、「コレなんてね、昭和43年のシロモノですよ。昔の機械は頑丈にできている。おそらく昔の人は造り込み方、機械に対する思い入れも違うんでしょうね。丁寧に造っていたと感じています。それに比べて昭和50年以降の機械はなぜだかすぐ壊れる(笑)」(浅井社長)
現在、このマシンで月300万円を稼ぎ出している。
1人だって十分やっていける。今の時流にあった“やり方”を考えた
1人で工場を切り盛りしている浅井社長だが、営業にも余念がない。町工場の経営者の多くが、自分の造った製品をPRできないと悩んでいるが、浅井社長は積極的に“売る”という観点からインターネットを活用している。インターネットを活用するきっかけを訪ねてみたところ、「なんとか売りたい・・という気持ちから、2001年にパソコンを購入しました。地元の商工会議所に相談に行くと、“HPをつくって人と人の繋がりを強化してみれば”と指導を受けた。本当にこのアドバイスは自分にとっても有効で、ねじ商社の方と知り合ったことをきっかけに知り合いが増えました。そこで受注のノウハウを同じ業界の方と酒の席で培ってきました。商売において人の繋がりの大切さを実感しています」と話した。
また、浅井社長は「ねじ工房」でねじをワンポイントにしたアクセサリーも製作している。“ねじや”の浅井社長だからこそできる斬新なデザインだ。浅井製作所のHPから購入することができる。
「ねじは2つのモノをくっつけるのが本来の役目です。このアイディアは私の恋人が“ねじでつくった指輪が欲しい”・・・とお願いされたから造ってみました。それが好評でかなりの注文を頂いております。やっぱり“こういうのを造って欲しい”という声を聞くと造りたくなる。これが私の商売魂なんでしょうね」(浅井社長)
独自のねじアクセサリーは売れ行きも好調! お洒落です!
中小企業、特に町工場の経営者が売るのは製品だけじゃない、社長の人物像も大きなウェイトを占める。そこが町工場の魅力でもある。金髪の浅井社長の得意の台詞は、「ねじやをなめんなよ!」だ。
最後に「厳しい世の中で生き残るのは自分の力でしかありません」と力強くしめくくった浅井社長。もっと広く町工場を見てほしい、ねじを知って欲しいとの思いから、工場見学を受け付けており、浅井社長が自ら工場を案内してくれる。
ものづくりに興味のある方は一度見学するといい。“ねじのカッコ良さ&浅井社長にしびれる”こと間違いない!
■工場見学の問合せはコチラ⇒ http://nejikouba.exblog.jp/14275728/ まで。