直目

見たくないものに目を向けることも時には必要

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ものすごく気になることのひとつに近年、ものづくりの重要性が問われている割には、薄っぺらい議論ばかりが先行してしまい、肝心なキモの部分に触れられていないことがある。

2年ほど前のことだった。ものづくり補助金(試作開発支援事業)の採択結果が出たけれど、「試作・開発」として事業主が申請した件数は7387件。うち採択数が1657件。分野別は公表していないが、この数字を見る限り、いかに国内製造業の現状が厳しいか分かる。

「試作・開発」として募集をかけているにもかかわらず、7387件のうち、5730件に斬新な技術開発が見つからなかった。78%も目新しい技術がないのに申請してしまうところに製造業の厳しい環境を見た気がする。

バブル崩壊やリーマンショックなどの異常経済時は、ほとんどの経営者の顔色が悪かった。問題は、景気が良くなっても、数字が上がらないところ(業界)だ。これは、企業うんぬんの前に産業構造を見直す必要があると感じている。国が中小企業救済の一環として展開しているシステムを単なる“延命措置”だけが目的の会社に利用すべきではない。

不景気のニュースになるとよく中小企業が映し出される。経済からのアプローチだと、景気が悪いありきで視聴者に分かりやすいよう訴える手ではあるが、「大変だ、大変だ、なんとかしてくれ」ばかりじゃ問題の本質が隠れてしまう。TVの討論番組でも、中小企業を代表していつも“業績の悪い”町工場の社長と産業に疎い政治家やタレント学者が環境悪を訴える。これは非常にやっかいなことで、国民に「あの専門家が言っていたから」という、メディアの“入れ知恵”がはびこる結果になり、問題の本質が雲隠れしてしまう。問題の本質を突き詰めるどころか、「経営者は大変ですね」の一言で片づけられる可能性だってあるのだ。

中には、困ったことに「他に会社の経営がうまくいく方法があるのなら、それを教えてください」などと開き直る場面もしばしば見られる。本来、「それを考えなきゃいけないんでしょ」と言いたいところだが、一部のメディアがこうした発言を擁護するものだから、とうとう現実的な問題点を探るよりも、『中小企業=弱者』という風潮がまかり通るようになってしまった。私が最も懸念する風潮の一つである。

中小企業のほとんどは資金繰りに四苦八苦している。
「お金がなくて資金繰りが大変だ」と言っているのと、「お金がなくて技術開発ができない」と言っているのとは意味が違う。能力のある会社と他力本願の会社が中小企業というワクの中でゴッタになり、中小企業全体が沈んだ印象を与えることも問題である。今や有能な企業に企業規模は関係ない。有能な企業に資金を流して国際競争力の強化に一役買って欲しいと願っている。

別件だが、いまだに多くの加工現場が手形決済に苦しんでいる。これは21世紀のこの日本で唯一グローバルスタンダードから外れた仕組みだといえるだろう。個人的には手形制度なんていうものはそのうち無くなればいいと思っている。
製造業を取り巻く環境は恐ろしいスピードでグローバルに進んでいくのに、いまどき手形などナンセンスそのもの。20世紀中に始末しておくべきだった(←あくまで個人的な意見)。
今の時代、何があるか分からない。

現在、円高と電力供給問題でますます空洞化が加速すると言われている。体力のある企業は海外で事業を展開できるけれど、そうでない企業のほうが圧倒的に数は多い。やった仕事の半年後(←半年後というのも妙な話だが)にカネが入って来るとは分かっていても、この半年の間になにが起こるか分からない。回収できずに連鎖して倒産・・・という恐ろしいシナリオだって全くないとはいえないのだから、売上を伸ばしても不安は拭えないのは当然のことである。利益なき繁忙ほど嫌なものはない。

縮小する国内市場を前に問題の本質をきちんと見出して対応していくことはとても重要なことだと思う。

なんでもアリの風潮と困った人々

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先日、こんなニュースがあった。
渋谷駅にある岡本太郎壁画に芸術家集団を名乗る輩が無断で細工したのだ。
本人たちは、「原発事故で歴史は更新されてしまったので、ヒバクのクロニクル(年代記)に福島を付け足した」とのこと。

ここに、主義主張を通すためならなんでもアリが許されるのが芸術家だ、という妙な特権意識臭をプ~ンと感じとった私。私も主義主張を通すため、いたるところにイタズラをしてみたい衝動はあるが、かろうじてグッと堪えて今日に至っている。

原発問題に触れて問題を世に問うことは良い。売名行為も悪いとは言わない。
ただ、彼らが一見、悲惨な日本の現状をアートで表現するという、至ってマトモな動機を示しておきながら、本当の目的は違うところにあるのは一目瞭然である。人の苦しみや悲しみに深い理解を示すなら、まず、この巨大壁画を復元してくれた皆さんの気持ちを考えることはできないのか。目の前にある隠れた苦労に気付きもしないで、なぜ人類愛を説くことができるのだろう。

作品を傷つけないからいいんだ、というのであれば、それは違う。他人の作品に無断で手を加えておきながら、それはないだろう。岡本太郎の作品云々というよりも倫理観の問題なのだ。

主義主張を通すため、なんでもアリの風潮がまかり通るのはよくない。この問題は今の日本を鑑みても通じるものがある。

また、今回、タレント学者がこれらの行為を正当化していたが、問題の本質をなにも分かっちゃいない。私に対しても「ここは北朝鮮か」とご丁寧に暴言を吐いてくれたが、若者の主張と倫理観の問題は別だ。もっというならば、最近、この手のコメンテーターは己の影響力を考えずに発言する。いろんなイデオロギーがあって当然のことだが、高齢者を同一視した上で社会からの排除を口にしたり、大企業は悪だと決めつけたり、あまりにも短絡的すぎる。己が社会に与える影響をまったく無視していることも問題である。

若者だろうが老人だろうが優秀な人は優秀である。生き方は本人が決めるべきで社会が決めることじゃない。“大企業は悪論”もいまいちピンとこない。
企業のこういう仕組みのこういうところが良くない、とハッキリしなければ問題点はボケるというものだ。私は弱小ゆえ目立たないが細かいとこまで製造業を取材しているし、自分も事務所を抱えているから経営者の苦労や産業構造の問題点は少なくとも、このわけのわからぬタレント学者よりは理解していると自負している。

いくらイノベーションなんて耳障りの良い言葉を使っても、普通の方がイノベーションを起こそうとすると、カッコ悪くて、惨めで、屈辱的な思いをすることのほうが多い。誰もが優秀ではないのだ。私も優秀ではないから何度も屈辱的な思いを経験し、枕を涙で濡らしたことも多々あった。挑戦して砕けたこともあったけれど、私はそれを社会のせいだと一度も思ったことはない。

ほとんどの方々が地道にコツコツやっている世界で生きている。コツコツの積み上げをバカにするような発言を垂れ流し、他人の努力の上に胡坐をかいて、声高々ときれいごとを言うのはいかがなものか。すでに企業規模を問わず、多くの企業がイノベーションを起こそうと躍起になっている。そういうところを見ずに、なにが反体制だ。反権力だ。バカバカしい。そういう短絡的なもの言いにもう、飽きてきたわ。

社会を構成しているのは健常者だけではない

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先日、友人から「東レ経営経済研究所(現:特別顧問)の佐々木常夫さんの講演を開いたんだけど非常に勉強になった」という話しを聞いた。

東レといえば材料の会社である。日本の経済は材料と加工技術が支えているといってもいい。東レで有名なモノといえば炭素繊維複合材料(CFRP)で、この製造業界に身を置く方ならご承知のとおり、軽くて丈夫、省エネにはもってこい材料である。自動車や新型航空機に一役買っており、とにかく東レは日本だけでなく世界にとっても必要な企業のひとつといっていい。

佐々木氏には3人のお子さんがいる。そのうちの長男は自閉症だ。自閉症といってもまだまだ認知度が低く、脳の機能障害が原因と聞いた。1000人に3人くらいはこの病気を抱えているらしい。

当時、佐々木氏は働き盛り。奥様は一生懸命子育てをするのだけれど、その奥様がうつ病にかかってしまい自殺未遂を起こしてしまう。数年間はずっと入退院の繰り返しをするほどだった。

この状況下、働き盛りの佐々木氏は家事をこなしながら仕事をやり遂げた。佐々木氏はスーパーリーマンだったわけだ。もちろんまだ小さな子どもたちのサポートもあったり、職場での協力もあって仕事も家庭も決してあきらめることはなかった。

―――と、私が一体なにを言いたいのかというと、佐々木氏によると、日本には身体障害者が150万人、自閉症は100万人、うつ病は400~500万人、その他にも引きこもり、認知症、知的障害、精神疾患・・・全てを合わせると2000万人を超えるそう。つまり日本人の5人に1人はなんらかのハンディキャップをお持ちだということ。

ところが、世間は健常者だけで構成されているようにも見える。病気や障害を持っていることは決して恥ずかしいことでもないのに、どういうわけか隠す風潮がある。みんなが公表をしたがらないから問題が表に出てこない。両親も年を取り、痴呆症やアルツハイマーにかかるかもしれない。多くの働き盛りには生活習慣病という病も忍び寄る。もちろん他にも重い病気にかかったり、事故にあったり、よく考えれば人間が寿命をまっとうするまで五体満足で死ねるということは奇跡に近いことかもしれない。

問題は、これらのリスクは人間である限り、誰もが平等に抱えるリスクだということをみんな忘れているということだ。都合の悪い事実には目をつぶり、見てみないふりをする。

今回の東京大節電で感じたことがある。もちろん今時期、節電はとても大切なことだが、駅のエレベーターの表示も暗くて見づらいし、どのエスカレーターが動いているのか表示すら分からない。これが5人に1人はなんらかのハンディを抱えている日本の現状だと思うと切なくなる。

何度も申し上げていることがある。それは、「偏見に満ちたマジョリティが正しいという社会であってはならない」ということ。
健常者だけが社会を構成していると思ったらまさしく大間違いである。

被災地外企業への倒産回避の対策は?

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今回の大震災に関連した企業の倒産数が東京商工リサーチの調査で100件に達したことが分かった。

設備や建物の損壊で事業が継続不能になった企業はもちろんのことだが、問題は被災地域外の企業が取引先企業の被災で売掛金の回収がままならなくなり倒産してしまったケースだ。被災地企業は再建支援等などの支援策があるが、被災地以外の企業に対しては一体どうなっているのだろうか。今後も悲しいかな倒産件数は増加の傾向にある。見過ごすことはできない。

今までも多くの中小製造業は自転車操業に近いところで必死にペダルを漕いでいる状況にあった。近年の円高問題や材料の高騰問題も大きいだろう。大手企業は海外に逃げることもできるだろうが、多くの中小企業にとっては厳しい現実にある。今まで支払が止まらぬよう必死にペダルを漕いできたにもかかわらず、この大震災の煽りを受けて自転車を漕ぐ体力もなくなり、とうとう力尽きてしまう経営者が増加する可能性が大きい。問題はこの中に可能性を秘めた会社がどのくらいあるか、だ。

このままの流れで企業が倒産すると雇用をはじめ日本経済にとっては大きな痛手になることは間違いない。震災の復旧復興や原発対応に力を入れるのも当然のことだが、政府は日本経済全体にも目を配り、これらの被災地外の企業情報を把握して、ここは一発、早急に対策を講ずるべきではなかろうか。

生かされているのは人間だ

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われわれが生きていくうえで必要なものは空気や水や太陽だ。

空気は酸素、窒素、二酸化炭など様々な気体の集まりでできている。酸素がなければ呼吸ができなくて窒息するし、窒素は私たちの身体をつくるたんぱく質のもとをつくってくれる。二酸化炭素は植物が光合成をして酸素を吐き出すために必要なものであり、さらに光合成には太陽の光が必要だ。

これらは人間がつくっていないものばかり。

地球上の植物や動物はありのままの姿で生きられるというのに、人間はありのままの姿で生きられない。太陽の光も水も空気もなければ人間は命を継続していくことが難しく、まさに生かされているのは人間といったところだろう。

しかもありがたいことに、これらの恩恵は全ての人々が平等に享受でき、無料だ。

われわれは、ものすごいスピードで物質的に繁栄してきた一方、自然環境や心身を蝕むスピードも同じくらい早く進んでいる。その結果、より多様・複雑化する世の中で多くの人が精神的にも肉体的にも休むことが難しくなっているようにも感じる。

物事の全ては原因があって結果がある――――。
小さな頃、親や学校の先生に説教されたセリフを思い出した。

「やったことは戻ってくる」

これは原発問題に限ったことではないのだけれど、撒いた種を自らが処理をするのは当たり前のこと。人や環境のせいにせず、やったことの責任をきちんととる。良くないことが起こったならば、そこから改善していく努力しかない。

電気のありがたみも生きているからこそ味わえるというもの。
生かされているわれわれが過剰に物質的なモノにがんじがらめになっていると、いろんなモノがなくなったときに苦しくなってくる。そうして苦しい気持ちをそのままにしておくと、そのうち生きるのも辛くなってくる。

だけど言えることは、“豊かになりたい気持ち”は働く動機や生きる希望を与えてくれるということ。

自粛と萎縮は違う。現在、頑張れない人たちがたくさんいる。だからこそ、元気がいい人のパワーが必要であり、そういう人は、どんどん精気を養って欲しい。今、力を出すのは元気のある人だ。

1年に1度しか咲かない桜を愛でたっていいじゃない。
蕾のまま多くの人々に無視されて散ってしまう桜を思うと、切ないじゃないの。

アントニオ猪木の言葉だけれど、『元気があればなんでもできる!』
私はその通りだと思っている。

ニセモノづくりに注ぐ中国の情熱

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色違いガンダムや可愛くないドラえもん、最近ではプラスチック入り偽装米が中国市場で出回っているとシンガポールメディアが報告したという、とどまるところを知らない中国のコピー商品。あの国のニセモノ開発にかける情熱は凄まじいものがある。ここまでくると、「段ボールとプラスチックが国を支えているのか?」と意地悪を言いたくなる。あっ、発泡スチロールもあったか。

製造業界でも日本の工業製品は非常に優秀だから目を付けられるのも当然だが、それにしても腹立たしい。できることなら海外の買い物客で賑わう銀座のド真ん中で宣伝カーのてっぺんに乗り「コピー商品撲滅運動」のたすきを引っさげ、ついでにバイトを雇って「経営やめますか? それとも泥棒をやめますか?」なんていうキャッチコピーのついたティッシュを道行く人々に配りたいくらいだ。

・・・とまぁ、怒ると眉間にシワが寄るので、これくらいにしましょう。

さて、これは某工作機器メーカーさんのお話なんだけど、ある加工現場からクレームの連絡が入ったことからニセモノが出回ったと発覚した。

「精度が全然出ないじゃねぇか」と、先方は大層ご立腹の様子。そりゃそうよ、良い精度を求めて品物を購入したんだもの、精度が出なきゃ怒るわよ。

高い精度に評価も高いこのメーカー、精度が出ないと言われるのは屈辱でもある。某メーカーは顧客から説明を聞いたうえで加工現場から製品を引き上げ、調べることにした。

製品が入っていた箱も自社のロゴがきちんと入ってある。印刷がちょっとおかしいとか、そんなこともない。製品の刻印もちゃんと入ってある。どこをどう見ても外見上は、おかしなところがひとつもなかった。

ところが、顧客の言うとおり精度が出ない。

「おかしいな・・・なんでだろう」

某メーカーは首をかしげた。私も以前、ここの工場や前社長さんを取材したことがあったけれど、このメーカーの品質にかける熱意は素晴らしいものがあった。世界中に流通しても自社製品に責任が持てるようきちんと製造番号もふってある。売りっぱなしにしないという意気込みを感じたものだ。

「これはおかしい」

ということで、製品を分解した某メーカー。驚きの声をあげることになる。

「あっ! これはウチのじゃない! ニセモノだっ!」

そこではじめて気付いたのだ。ある部分がちょっとヘンだった。分解してはじめて分かったという。メーカーが自社製品のコピーを見抜くまで時間がかかるくらい、そっくりだったのだ。製品の箱から刻印、なにからなにまで見事にコピーされていたらしい。

日本の工業製品は優秀なので、日本のメーカー名を出すと信用される。そこに目を付けた悪い奴。このようなことが当たり前のように起きている今日この頃。

さらに腹立たしいことは、コピー商品が見つかってバレた時の言いわけだ。

「うちらはそちらで作ってる製品よりももっといい製品をつくってやったんだ。どこが悪い」と、粗悪品をつくっておきながら悪びれることもなく、開き直ることだ。

人のモノもオレのもの、オレのモノも人のもの―――なんというジャイアニズム。

それにしても、これらのコピー商品の研究開発にかかるコストを考えると、独自の技術開発に注力してもよさそうなものなのに、創意工夫ってもんがまるでない。

・・・・というか、創意工夫が「ニセモノづくり」なんだもん。先述のプラスチック入り偽造米だって、こんな突拍子もないことを思い付くくらいなんだから、独自の開発に活用すればいいものを。とにかくあの国のニセモノづくりにかける情熱は尋常じゃない。なにかニセモノ作りに強い思い入れや美学でもあるのか。

とにかくこのコピー商品の数々、年々、匠のワザが生きてきているようで、見破るにも一苦労だ。

このような時流の中、バッタもん製品の横流しをしている輩の存在は見逃すことはできません。

製造業とトゥギャザーしようぜ!

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最近、TPPに関連して農業問題がクローズアップされているが違和感を覚えることも多い。というのも、農業従事者の高齢化や農業の活性化などの問題は今に始まったことではない。本来ならばもっと以前に対処されるべき事柄ではなかったのではないか。農業政策の立ち遅れをTPP問題にすり替えているように思えてならないのだ。

テレビ番組のTPP討論会には必ずといっていいほど農水省官僚出身の東大大学院S教授が出演して反対論を述べているが、よく聞いていると、TPP問題と解決すべき農業問題をゴチャゴチャにして喋っているようだ。それなら改善すべき農業の問題点とTPPは区別して議論をしたほうが視聴者にはわかりやすいだろう。どうもテレビを見ていると工業VS農業の戦いという、低レベルな議論に流れやすいのが残念でならない。工業が利益のために農業を潰すとか、農業が経済の足を引っ張っている等、誰かを悪者にする図式も、もううんざりしてきた。

TPPについてはいろいろ議論の擦り合わせが必要であると感じている。それにはどんなメリットがあって、デメリットを“どう回避するか”が問題であり、そこのところをもっと議論してほしい。推進派と反対派に分けてデメリットばかりを突き付けても先に進まない。

ところで、見方を変えれば日本の農業にとって今が大きく発展するチャンスだと思っている。農業の弱点を強化するためにはどうしたらいいのか考える時期が来たのだと思う。それこそ保護に頼らず、日本の優れた工業技術とのコラボレーションで挽回することだってあり得る。

これは農家に限ったことではないが、どうにもならない状態であれば、悪い状態を脱する方法を考えることが先決だ。やってもいないことや、起きてもいない未来の不安にしがみつくのは良くない。今がどうにもならない状態で喘いでいるなら思い切って考え方を変えることも一案だと思っている。先が見えないことは怖いことだが、今がどうにもならないなら、今よりマシだと思えばいい。

以前にも述べたが、日本の製造業は、戦後まもなく保護貿易から自由化に転換して世界の舞台で揉まれ、結果として最高水準の技術開発力を有し経済大国の源泉になった。農業もすでに技術、品質に関しては世界のトップレベルにあるのだから、あとは生産性を高めれば国際競争に打ち勝ち日本経済の下支えができる可能性がある。

話は変わるが、ある意識調査によると、TPPの必要性について中小企業は大企業を上回って「必要だ」と答えている。中小製造企業も自立して世界に躍り出るチャンスを狙っているようだ。外で得た資金を日本に還流して、国内では最先端の製品開発や生産技術開発を行う技術創造型企業が増加する見込みもある。すでにこの形態で雇用が増えた企業も出現している。いずれにせよ日本には資源が乏しいのだから頭を使って開発するしかない。

製造業と農業が日本経済発展の車の両輪になるのは遠からずやってくるだろう。それこそ、「製造業とトゥギャザーしようぜ!」だ。 

魂が抜かれそう

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1月27日に財務省が発表した2010年の貿易統計速報によると、貿易黒字は前年の2.5倍の6兆7702億円と大幅に伸び、輸出の地域別はアジア向が29.0%増、中でも中国は27.9%増で過去最高を記録している。これで一応は輸出国ニッポンのメンツをかろうじて保ったと言えよう。

ところで中国のGDPが日本を抜いて世界第2位に躍り出たが、1人あたりのGDPは日本の1/10以下だ。そもそも中国は共産主義国である。そこに市場主義がどこまで浸透するのかまったく予測がつかない。中国が資本主義を目指すことは、今のところ考えにくいのだが、中国のマーケットはとてつもなく大きくて魅力的。当然、先進諸国はこのマーケットに狙いを付け、すでに熾烈な販売競争が始まっている。

一方、中国は日本の技術が欲しくてしょうがない。ご承知のとおり、日本の環境技術はトップクラス。昔の日本を辿っている中国が日本をお手本にしたいのも当然であり、すでにリサイクル技術は国家プロジェクトとして日本の技術導入に力を入れている。これは一例だが、日本の都市鉱山は中国にほとんど持って行かれている。これはなぜかというと、日本の法令上、リサイクル品が集約しにくくなっているからだ。都市鉱山は宝の山にも見えるのだが、残念なことに日本より高い料金で中国に持っていかれているのが現状のようだ。どうやら業者も「値段の高いモンに売るのは当然じゃないか」とのこと。当然だ。

20年ほど前の中国は外貨と技術が欲しいの一点張りだった。今はお金がたくさん集まったので技術に焦点を当てている。言い方が悪いが、今後も金をチラつかせて欲しい技術を奪取していくであろう。
なんとなく魂まで持っていかれるような寂しい気持ちになる。

中国に技術をどんどん売ってしまうのもいいけれど、そうなると日本に一体何が残るのか。日本の強みのひとつにサービスがあるが、サービスだけが残ったって食っていけないだろうと、ふと頭をよぎった。

サービスは日本の強み

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今年はアメリカの景気回復が期待されており、明るい兆しもチラチラと見えてきた。ここで一発カマしたいところだが、国内の需要がついていかないなど課題が残っている。

年末に製造業の情勢に詳しい某氏と居酒屋でお話をしたところ、「日本はサービスと新素材だ」とのこと。私もまったく同感だった。

“売りっぱなしにしない”というキメの細かなサービスは日本の強み。最先端の設備を求める方々やそうでない方々にも“サービス”は貴重なものである。

たとえば高齢者が最新のブルーレイ付きテレビやパソコンを購入した場合、メカについていけない、ということがある。せっかく購入したのに使いこなせない。説明書が入っていてもなかなか理解できない。それがメカに疎いというもの。

私の育った田舎には安売りを全面に押し出している家電チェーン店(ここではX店)とあまり安くない地元販売店(ここではA店)がある。高齢者やメカに疎い者は、若干値段が高くても、あまり安くないA店で品物を買う。A店は昔からあるお店であり、ここ数十年の間に安さを売りにしているX店が新しく進出してきても、著しい値引きをしなかった。

田舎では若者が都会に流れる傾向があるのでメカに疎いお年頃が多く、先述のとおり、たとえば新しいブルーレイ付きテレビを購入してもイマイチ使い方が良く分からない。ところが、A店で最新テレビを購入すると、後で使い方が分からなくなってしまっても、電話一本ですぐに対応してくれる。たとえば「録画の仕方が分からない」といったことでも、家に来てくれるのだ。うちの母も最新テレビを購入した際、何度もA店に連絡をしたと聞いた。とてもアフターサービスが良いのだ。

したがって、最先端のものに腰が引ける高齢者も怖がることなく最新のものに買い替えることができる。これは田舎ならではのものだけれど、世界に当てはめてみても同じようなことが言えるのではないか。開発競争がますます熾烈化し新技術が次々と生まれてくるなかで、世界が求める多様なニーズに“売りっぱなしにしない”ということも選定の決め手になるだろう。

いずれにせよ、“かゆいところに手が届くサービス”は日本の強み。今年は日本のきめ細かなサービスをいかに世界PRするかも重要なポイントのひとつになると感じる。

沖縄はアジアゲートウェイになるか

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アジア経済の成長に伴ってアジアとの物流拠点が那覇空港になりつつあるようだ。
現在、わが国産業の生産・流通拠点などはアジアへ移行していくことは避けられない状況にある。企業にとってもアジアの主要都市が那覇空港から4時間以内でスピーディに輸送できるという地理的優位性を持ち、物流にかかるコスト面やリードタイムなどにメリットが多い。

このようなことから、国内製造業も沖縄に工場を新設するのがトレンドになりそうだ。すでに進出している企業も出てきている。
日本で唯一、沖縄は亜熱帯。
たとえば精密機器・部品などは、温度・湿度に影響されやすいので、アジアの気候に合わせた技術開発をもって生産したほうがより合理的であると思われる。
これは地域を活性化し、社会貢献に繋がることは間違いない。

「この部品が足りない! このままではラインが止まるからすぐに送って欲しい」等の急を要する精密機器部品など、必要なものを素早く輸送することは以外と重要である。
このように顧客のニーズに対するクィックレスポンスは会社の信用度を増すし、国際競争に勝つ条件のひとつでもあろう。

沖縄がアジアゲートウェイになることを期待したい。