「歴史的名機が集結」 清水伸二 日本工業大学 工業技術博物館館長に聞く

 

登録有形文化財、近代化遺産、機械遺産の数々 ~工作機械は自己成長する機械~

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 日本工業大学 工業技術博物館は、1987年度の学園創立80周年記念事業として大学内に開設し、一般にも公開している。歴史的価値のある中・小形の機械類だけでなく、国家プロジェクトで開発された巨大なガスタービンや蒸気機関車も展示してあった。

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昭和初期の町工場が忠実に復元されてある

 特に工作機械の話になると熱くなるようで、「工作機械は自給自足で自己成長する機械」と、その面白さ、凄さを強調する清水館長。この意味を尋ねると、「工作機械は、各種産業機械を産み出し、それら機械がつくり出した素材を加工して様々な部品をつくり出すとともに、自分で使う道具をもつくっています。また、各種産業機械により産み出されたより高度な機械要素部品を組込み、自分自身を成長させています。工作機械が他の機械と違うのは、このように自給自足でものづくりができて、自分自身も成長させることができることであり、とても面白い、凄い機械なのですよ。」と説明をしてくれた。

 映画のセットさながらの昭和初期の典型的な町工場が展示してあった。これは、1907年に東京・三田で創業した植原鉄工所を復元したものだ。工場建屋も実測に基づいて忠実に復元しているという。工場の床に設置された1台の電動機から平ベルトで天井に配置された伝導シャフト群に回転が伝えられ、そこから旋盤など各機械が駆動される仕組みとなっており、工場としての稼働状態が実際に見ることができるので驚いた。切りくずまでも展示されており、生々しい。タイムスリップをした感覚だ。

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動力は人! 巨大な手回し動力装置

 初めて見る巨大な手回し動力装置に目が止まった。これは、1889年の池貝鉄工所(現 池貝)の手回し動力装置付き旋盤のレプリカ。これが国内初の近代的な工作機械とされている。

 動力は〝人〟。2人で巨大なはずみ車(フライホイール)を回して毎分60回転(0.35馬力)。昔は比較的大きなワークを加工する際に、このような〝はずみ車〟方式も利用されていた。当時の職人は技術とともに体力も必要だったようだ。ちなみに、当時の機械の駆動動力としては、このはずみ車方式とクランクを利用した足踏み方式(数人で1本の横棒につかまって踏む)などがあったとのこと。

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日本の精密加工の発展に貢献した三井精機工業 1943年製のマシン

 わが国初のジグ中ぐり盤を開発した三井精機工業の1943年製のマシンが展示してあった。日本の精密加工の発展に貢献したマシンといっても過言ではないだろう。

 この機種は親ねじの回転数と回転角度により位置決めする親ねじ式。博物館の展示品ガイドによると、戦後は、通商産業省(現 経済産業省)の補助金を受け、まず、基準尺を製作するための刻線機などの開発を行なった。その後、1955年に基準尺と光学系により位置決めをする光学式ジグ中ぐり盤を完成させたとあった。

 また、1959年には、工業技術院機械試験所に協力し、数値制御ジグ中ぐり盤を完成させ注目を浴びたようだ。この時代に数値制御がすでにあったとは! なお、館内には戦後の光学式改良機もあった。

 

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自動工具交換装置と自動割り出しテーブルが装備されたことで生産性向上が実現した

 カーネイ&トレッカーのマシニングセンタ(1970年製)が存在感を示していた。米国のカーネイ&トレッカーが世界初のマシニングセンタの開発に成功したのは1958年。自動工具交換装置と自動割り出しテーブルが装備されたことで工程短縮による生産性向上が実現し、大きな注目を呼んだという。なお、1969年にはカーネイ&トレッカー社と東芝機械(現芝浦機械)、三井物産の合弁会社が発足し、量産するに至った。展示品は、機械最上部の円盤状ツールマガジンには15本の工具が放射状に取り付けられるようになっている。なお、この時の工具交換時間は10~15秒。制御装置はGE製とのこと。ちなみにこのマシンは日本で20年ほど活躍したという。

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これがロボドリルの原型だ!

 さて、ファナックといえばイメージするのは黄色だが、ファナックが最初に市場投入した工作機械(1973年)が展示されていた。社名は富士通ファナック。このマシンは制御盤の中に13㎜径の穴加工が可能な卓上ボール盤が入ったような格好をしており、X,YテーブルだけNC制御になっている。そしてこれがかの有名なロボドリルの原型である。ちなみに当時は、ボール盤のみで20万円ほど。NC装置がついて約150万円で販売されていたという。高価なものだが、時代は高度成長期まっただ中。加工前の「けがき」や「ポンチ打ち」作業を不要として、自動的に穴をあけるうえに、ピッチが狂わないという理由から、重宝されていたマシンだったのだ。その後、マシンはタレットになり、カラーも黄色が活用されるようになった。

 こうした貴重なマシンの数々を見学したあと、博物館内2Fへ向かった。6月末日まで開催されている「平成時代30年間の日本の工作機械メーカの製品・技術を振り返る」をテーマにした特別展は、パネル展示により、工作機械メーカ22社の技術変遷が一目瞭然! その時代の技術トレンドがマシンを進化させていく様子が見える。これからものづくり業界で活躍する若者も、現在どっぷり業界に漬かっている方々も楽しめるうえ、ひょっとしたら開発に役立つ閃きが生まれるかもしれないと感じた。

210701top7 清水館長は、「機械技術の歴史を知ることは、その原理・原則、基礎を理解することにつながります。日本の経済発展の基盤となるのは、高度な工作機械技術とそれから産み出される付加価値の高い工業製品。多くの皆様にぜひ、博物館に足を運んでいただき、ものづくりにかけた先人の努力と情熱を感じ取って頂き、工作機械技術をはじめとする生産技術発展の重要性とその更なる発展の必要性を理解していただきたいと思っています。」としめくくった。

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