【寄稿】『ドイツより帰って参りました』ダイジェット工業 木村 聡
『欧州支店をイギリスからドイツに移管し、新しいオフィスを立ち上げる計画がある――――。』
その話を聞いてから「その仕事、私にやらせてもらえませんか?」と手を挙げるまでには、それほど時間はかからなかった。ヨーロッパでの拡販の可能性を信じ、自ら立候補したのである。
晴れて2014年12月、新たな挑戦を快く受け入れてくれた家族に見送られ、関空より出国。その日から7年7か月に亘る駐在員生活が始まるのだった。赴任地はドイツのデュッセルドルフ。人口62万人、うち11万人ほどが外国人という国際都市で、日本人もその一角をなし約6000人が居住している。ヨーロッパでは、ロンドン、パリに次ぐ規模の日本人コミュニティーだ。
新オフィスのあるインマーマン通りは“リトル・トウキョウ”と呼ばれ、周辺には日本食スーパー、ラーメン屋、日本食レストラン等々が多数ある。この通りだけで生活を営むのであれば、日本語だけでも生きていける程である。もちろんドイツでは“輸入品”となる日本製品はすべて高価ではあるが。
苦難を乗り越え、子会社「DIJET GmbH」を立ち上げる
新オフィスの立ち上げは、苦難の連続であった。イギリスより送付された在庫商品の到着遅延問題はかなり深刻で、商品が手元にないためしばらくは日本からの出荷を余儀なくされた。もうひとつの大きな問題は導入された受発注システムが正常に稼働しないことだった。日本からの長期出張者と問題解決にあたったが、『言葉の壁』・・・システム開発者がドイツ語しか通じない、と『理解の壁』・・・我々が考える売上や在庫の概念が理解してもらえない、に阻まれ、望み通りのシステムを構築することがなかなか出来なかった。
立ち上げ業務が完了し、ようやく正常に営業できる状態となったのは3か月も後の事だった。それ迄の間は応急処置としてエクセルで受発注管理を余儀なくされたがエラーも多く、毎日がトラブルの連続でお客さんに謝ってばかりの日々であった。
ヨーロッパを楽しむ時間的、精神的余裕ができたのは、赴任から半年たった5月頃だったろうか。着任した12月は日照時間朝の9時半から16時半までと短く、太陽を見ない生活だった。それが春になるとグングンと日が伸びる。ヨーロッパの夏は最高のシーズンだ。気温は30度を超えることも少なく湿度も低い。夜は10時ごろまで明るい。街にはテラス席でゆっくりと会食する人であふれかえる。デユッセル市内を流れるライン川沿いはその中でも一番の人気スポットだ。ドイツのビールは噂どおり美味しい。私もその美味しさに、はまってしまった。究極のビールを求めてとにかくいろんな種類を飲んだが、最後にはビール製造業者の社長とまで仲良くなってしまった。
マラソン愛好家にとってもヨーロッパは最高のロケーションで、日本では猛暑となる夏シーズンも涼しく、日も長いので好きな時に好きなだけ走れる。大会シーズンである春と秋には主要都市のどこかで大会が開催されているので、日本のようにエントリーに苦労することも無い。アムステルダム、パリ、ベネチア、ベルリン、どれも素晴らしい大会だった。自らの足でたどり着いて見るエッフェル塔やブランデンブルグ門は格別なものである。毎週日曜日は所属した日本人のランニングチームの仲間と一緒に走り、楽しんだ。
ドイツの土曜日は買い物の日である。日曜日は安息日。空港と駅を除き、スーパーマーケットや食料品店、衣料店もすべて閉店。空いているのはレストラン、パン屋、花屋、KIOSKくらいだ。食料は土曜日中に買っておかなければならず、スーパーのレジは長蛇の列となるのである。一方、60㎞程離れた隣国のオランダでは日曜営業の店が多い。日曜日、オランダへ買い物に訪れる駐在員もたくさんいた。私のお気に入りは、マーストリヒトという街である。ここはドイツ、ベルギーとの三点国境にも近く、特にベルギーの影響が強い。なんとなくその先にあるフランスを感じられ、他のオランダの街にはない魅力があるのだ。
ドイツの生活にもすっかり慣れた2017年、駐在最大の任務である子会社DIJET GmbHの立ち上げを果たし、よりお客さんに寄り添った形での営業を展開、好景気にも支えられ誕生したばかりの子会社を軌道に乗せることができた。