碌々産業が120周年記念祝賀会を開く ~10月から「碌々スマートテクノロジー」に社名変更 新社長に矢野雄介氏~
碌々産業が7月7日、都内のグランドプリンスホテル高輪で「120周年記念祝賀会」を開いた。この日、矢野雄介取締役が社長に昇格し、海藤満社長が代表権のある会長に就任したことと併せ、10月1日付けで社名を新たに「碌々スマートテクノロジー」に変更すると発表があった。
碌々産業の歴史を紐解くと、世界初の有人動力飛行にライト兄弟が世界で初めて成功した1903年に、東京銀座に工作機械の輸入商社として碌々商店を設立したことから始まる。この時代は、工作機械と呼べる国内製品がほとんど存在しない時代だったが、同社は機械工業の基礎をなす工作機械にいち早く着目し、輸入販売から自社製品の開発へと推進していく。創業当時からのモットーは、〝信用第一〟。製品は売る立場と買う立場の双方を満足させなければならないとして、堅実な商いに徹し、品質第一、技術第一の理念を貫き、個々の要求に応える特殊設計製作と、顧客に最適な製品の提供を行い、信頼を得るメーカーを目指していった。
微細加工機のリーディングカンパニーを目指して
戦争も経験した。第二次世界大戦時は、工場は空襲で被災し、かろうじて免れた工場を合併させて、現在の静岡県焼津市に疎開、この時、社名を碌々産業に改称し、終戦の荒廃から再構築を図って再スタートを切った。
戦後は特需により日本企業に対する発注が急増し、この受注によって日本経済は発展をみせ、機械工業界も急速な回復をしていく。機械設備の輸入が許可され、工作機械の輸入販売事業の再開、先進国の第一線の商品を日本市場に提供し、同社も自社製造技術を磨き続けた。
1965年に欧州の国際展示会にて工作機械のNC化を見学したことがきっかけで、富士通信機製造と山梨大学の共同事業により、NCボール盤の開発に着手し、日本発のNCボール盤を完成させており、その技術をもとにプリント配線基板用NC加工機の国産1号機を完成させ、その3年後の1968年には、NC化技術をさらに発展させ汎用NCボール盤『RND-1003』を商品化し、その後は長年にわたりNC工作機械製造の基礎を築いていく。
時は流れ、市場は工作機械の過当競争時代に突入し、同社はその対策として1996年に小型部品の高精度活高品位な加工ができる加工機として『MEGA-360』を開発し、当時にはなかった〝微細加工〟という言葉を独自に使い始めている。同社がなぜ、微細加工機の市場に舵を切ったかというと、海藤社長(現会長)は後に「1979年にソニーが世界を席巻した〝ウォークマン〟を発売したから。音楽が好きだった僕は部屋に大きなステレオを置いて音楽を聴いていた。ところがウォークマンの登場で、音楽が歩いて聞けることにショックを受け、これが今後のトレンドになっていくんだと感じた。人が全てのモノを携帯したがるような世の中が来るだろうと直感的に思った。小さなものをつくるためには微細加工技術がどうしても必要になってくる。そのための機械をつくろう。われわれは付加価値が高い機械をつくることができると確信し、一気に踏み出したのです。」と語っている。