「限りない技術革新への挑戦!」 イスラエルのイスカル本社でファーストクラスディーラーと関係ユーザーを対象にセミナーを開催(前編) 

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本社前で記念撮影


 IMC(International Metalworking Companies)グループ(会長=ジェイコブ・ハルパス氏)の中核を担うISCAR LTD.(以下イスカル社、CEO=イラン・ゲリ氏)に日本の販売上位特約店と認定されたファーストクラスディーラー(略称:FCD)および関係ユーザーが、同社に対する理解を深めることを目的として、イスラエル・テフェンにあるイスカル本社を訪ねた。

 今回の主要テーマは『Where Innovation Never Stops!(限りない技術革新への挑戦)』。参加者はグローバル規模で切削工具のイノベーションを牽引する最新工具の開発現場を見学した。この様子を徹底取材し、ドラマチックな同社の歴史とともにイラン・ゲリCEOのインタビューなどを前編と後編に分けて掲載する。

イスカル社の歴史と息づくDNA

230925ステフ氏
インタビューの中で振り返るステフ氏

 イスカル社は1952年、創業者のステファン・ベルトハイマー(のちにステフと改名、以下ステフ)氏とその妻が、イスラエルのナハリヤにある自宅ガレージにてろう付け工具を製造したことからスタートしている。ステフ氏は1926年に音楽家の母と第一次大戦の退役軍人である父のもと、南ドイツのキッペンハイムの地で生まれた。1936年にはドイツの政権を握ったナチスの影響を受け、一家はドイツから逃れる。この時まだ10才だったステフ氏は「逃れたなんてものではなかった。両親に連れられて、何を聞かれることもなくドイツを去った。」とのちにインタビューの中で振り返っている。その後イギリス統治下のパレスチナへ移民し、18才に成長した頃には、イスラエル軍に入隊した。当時のイスラエルはまだ建国に至っておらず、国家の独立と建国に向けて戦っていた。この頃、ステファンを「ステフ」と改名し、初期のイスラエル空軍のパイロット養成コースに入隊したが、軍は空軍パイロットとして訓練を修了したステフ氏の優れた才能を見いだしていた――――。

 それは、〝金属加工〟の才能だった――――――。

 イスラエル軍の製造部門でその才覚を現したステフ氏は、これがきっかけとなり、『平和達成』を目指すようになる。その後、イスラエルの建国が成し遂げられ、独立戦争が終結した頃、自宅の裏庭に切削工具を作るあばら小屋を建てた。これが後に世界に名を知られる総合切削工具メーカー イスカル社のスタートとなった。なお、イスカルの社名は、〝イスラエルのカーバイド〟が由縁だという。

230925創業当時
創業当時

 創業以来長年にわたり同社は、家族経営で成長してきたが2006年、米国の著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏率いるバークシャー・ハサウェイが買収したことにより、これまでにない『平和達成』への後ろ盾を得た。イスカルの一貫した経営方針は変わることはなく、その後も順調に成長・拡大を続けている。IMCグループ全体の従業員数14,000人中、イスカル社は7,000人を有し、世界中の自動車、船舶、航空機をはじめ、あらゆる産業に貢献するための独創的で斬新な切削工具を生産・供給している。インダストリー4.0を採用した最先端の工場施設を有するともに、現在、超民族、超宗教の共存コミュニティのモデルとなっている。

 ステフ氏はこんな言葉を残している。

「イスカル社では異なる民族、宗教の従業員間での問題、争いなど一切ありません。高品質の製品を時間内に納めることに日々忙しいのですから。」

 ところが、ステフ氏の躍進はこれに留まらず、次なる目標を掲げていた。イスカル社での成功を地域全体にもたらすべく、ものづくりの推進に注力した。創業者が長年夢見たプロジェクトはインダストリアルパーク(産業公園)の設立だった。これはものづくり、教育機能、若者起業家を育成するインキュベータ機能を持ち備える構想だった。働く従業員たちの福利厚生や利益に直結し、騒音がなく、これらの静かで素晴らしい環境はイスラエル国内数カ所の郊外エリアに所在している。

人種の壁を取っ払い、ユダヤ人、アラブ人問わず誰もが働きやすい環境を構築したこのモデルは他に例をみない建設的なものであり、中東エリアでの地政学問題、紛争に変化と解決のヒントを与えるものであった。

 なお、ドイツ脱出から71年後の2008年、ステフ氏は生まれ故郷のドイツの地に戻り、ドイツ勲章である「ブーブル・ローゼンズバイグ」のメダルを受賞している。

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