黒田精工 100周年を迎え祝賀会を開く ~戦後の苦難を乗り越え世界中の産業を支える企業に~
世界に製造業がある限り黒田精工の超精密技術が必要

経済産業省製造産業局の須賀千鶴産業機械課長が祝辞を述べた。この中で須賀産業機械課長は、「黒田精工は創業以来、精密機械の製造と技術革新に邁進された。100年前は世界が大きな変革を迎えていた時代であり、日本では大正デモクラシーの影響を受け、政治や社会において新しい価値が急速に広がりを見せ、この時代を迎えようとしていた頃ですが、黒田精工は、そのような時代の中で日本初の専業ゲージメーカーとして創立され、技術革新と顧客重視の姿勢を一貫して貫いていくことで、業界の中でも確固たる地位を確立してきました。その後も歴史的な試練ともいうべき大きな環境変化を幾度も乗り越えられ、新たな技術の導入と品質向上に向けた努力を続け、わが国の産業競争力の強化に大きく貢献をしてこられたことに深く敬意を表したい。」と声援を送った。
続いて、稲葉善治ファナック特別顧問が、祝辞の中で黒田精工2代目社長の黒田彰一氏とファナックの創業者である稲葉清右衛門氏の交流関係とともに黒田精工の魅力を次のように語った。

「黒田彰一様と稲葉清右衛門とのお付き合いは2人が東京帝国大学第2工学部造兵学科の学生時代から始まり、2人がまで公私にわたり、大変親しくお付き合いをさせて頂きました。2人はお互い生き残った方が弔辞を読もうという約束を交わしていました。奇しくも同じ病気で同じ時期に入院し、2020年9月30日に逝去された彰一様の後を追うように3日後に清右衛門もこの世を去りました。このように強い絆で結ばれていた2人は今頃天国で再会し、技術者としての見果てぬ夢を語り合っていることだろうと思います。」と述べたあと、黒田精工とファナックの関係に触れた。
「ファナックは、1956年に日本発のNC制御装置の開発に成功しましたが、その後1959年に発明された電気・油圧パルスモーターにより日本におけるNC装置の独占的な地位を確立しました。しかしながら開発当初、主要部品である四方案内弁のバルブは当時の加工技術では製作が非常に困難であり、困り果てた清右衛門は、彰一様が社長をされている〝黒田精工ならこの部品の製造が可能ではないか〟と思いつき、すぐさま相談したところ、即座にこの依頼を引き受けてくださいました。このバルブの製造には相当なご苦労があったと存じますが、黒田精工はこの超精密加工に成功され、お陰様で日本のNC工作機械が世界のマーケットに進出する大きな原動力になりました。」と述べ、最後に「その後、黒田精工は超精密研削盤、超精密ボールねじ、超精密金型などに進出され、業容を拡大されました。全ては〝超精密〟が合い言葉になっています。それは100年の歴史を通して脈々と流れる黒田精工のDNAそのものです。現在、世界経済は不透明、不確実および不安定な状況に陥っており、企業は難しい舵取りを迫られています。しかしながら、日本および世界に製造業がある限り、黒田精工の超精密技術を必要としています。黒田精工はこれまで日本の製造業界の工業化と近代化を進めてこられました。現黒田社長はグローバルな経験を積んでこられており、世界に向けて事業を展開するための最適なリーダーです。」とエールを送った。

鏡開きが行われたあと、乾杯の発声は沼田恵明 ミツトヨ社長が行った。和太鼓ステージショー「大江戸助六太鼓」の迫力あるパフォーマンスが行われ、会場内は感動の嵐に包まれた。
宴もたけなわの頃、黒田精工 石井克則専務の3本締めで散会した。