町工場が独自の開発力でエレベーター用部品のトップメーカーに!
東京都大田区といえば「機械金属工業」のイメージが強い。実際、「組立」、「機械加工」、「板金」のこの3つの分野がおよそ6割を占めており、独自の技術によって得意先を獲得している。
今回取材をしたのは、独自の開発力でエレベーター用部品のトップメーカーにのぼりつめたオリエンタル工芸社(社長=杉本亨氏)。同社の特長は、大田区の特化した分野である「組立」、「機械加工」、「板金」の3つを備えていることに加え、ユニークな事業添加をしているところだろう。また、アルミとステンレスに特化した切削加工技術を持ち、加工物の複合化に対応するため5軸マシニングを駆使しながら、より複雑な加工を可能にしている。
杉本社長は「本が1冊かけちゃうくらいだよ」というくらい波乱万丈だ。
前社長から会社を引き継いだ理由はこうだ。若い頃、職を求めていた杉本氏がオリエンタル工芸社に入社し、数年が経過したところ、社長が急死してしまったのだ。当時からエレベーター用部品を得意としていたが、従業員は先代の社長と杉本社長を入れてたった3人の小さな会社だった。
「工場を整理してみると800万円の負債が出てきちゃったんですよね。これは驚きました。小さな町工場の800万円は大変な金額です。社長の遺族はその金額に驚愕して“あとは頼みましたよ”って逃げちゃった(笑)。そりゃあ呆然としましたよ」。

「いきなり経営のけの字も知らないド素人が社長になったものだから、それは苦労しました」と当時を振り返る。
「私が社長に就いたとたんに得意先が激減したんです。今まで付き合ってきた取引先も社長が亡くなれば去っていきました。今まで仕事をこなしてきたのは先代社長の人柄と信用があったからなんですね。まさに町工場は“規模”で仕事をもらっているのではなく、“人”で仕事を頂いていると実感しました」(杉本氏)
新社長に就いた杉本氏を待ち受けたのは、いきなり得意先が激減するというなんとも痛ましい現実だったが、ここでへこたれるわけにはいかない。必死に営業に歩いた。開発した新製品は評判も良く、苦労した分、取引先は増加していった。あれから30年以上が経過した今、千葉にも工場ができ、3名だった従業員は18人に増加した。