「昨日より今日、今日より明日へ」 和井田製作所 和井田会長兼社長に聞く

 

悔しさが世界戦略を生んだ ~不確実性が増す時代 不況でも止めなかったもの~

本社全景。寒暖差が少ない高山は精密機械製造に適している

 

 

1935年にヒットを飛ばしたシリンダーボーリングマシン「NWA-0」。独創的な機械作りのルーツはこのマシンから始まっている

 ― 貴社は近年、海外比率が60%を超え、グローバルニッチトップ戦略を掲げて世界的にもシェアを拡大しています。
 和井田 実はかれこれ50年前の話ですが、ヨーロッパへ営業に行ったところ、現地で言われたのは「和井田? そんな名前は聞いたことがない。」という一言でした。ヨーロッパから見れば、日本は極東の果て。しかも当時は現地に拠点もありません。「そんなところから機械は買えない。」と突き放され、いわば、根無し草扱いを受けました。これがものすごくショックで、今でもあの時の悔しさは忘れられません。しかし、その経験があったからこそ、「このままでは終われない。」と海外展開を強く考えることができるようになったのです。あれから50年が経ちましたが、今では自前の拠点を構え、人材も配置し、グローバルに事業を展開できる体制を築くことができました。あの悔しさこそが現在のグローバルニッチトップ戦略の原点となりました。
 ― 現在、地政学リスクの高まりなど、不確実性が一段と増す時代に入っています。その一方で、貴社は戦後の混乱期や不況を乗り越え、長い歴史を築いてこられました。激動の時代を生き抜いてきた企業として、いま何をどう見ているのか、お聞かせください。
 和井田 当社は、硬脆材料分野に特化した特殊研削盤の開発・販売、そしてサービスまでを一貫して手がける、極めてニッチな領域に身を置いています。市況の影響をダイレクトに受け、景気が後退すれば、ニッチだけに売上は単純に3割、4割と減るだけではなく、場合によっては、ゼロに近い水準まで落ち込む。それが、この業界の現実です。そのため、単純に規模を追い求める経営には限界があると考えています。特に当社のようなニッチな企業にとって、〝大きくなること〟そのものには、必ずしも意味はありません。むしろ重要なのは、〝質で勝つこと〟です。機械において最終的に評価されるのは、やはり〝精度と品質〟なのです。この一点で他社に対して優位に立つことが、結果として成長につながると考えています。
 ― 最も厳しかった局面で何を止め、何を止めませんでしたか?
 和井田 止めなかったものは明確です。お客様に寄り添う姿勢と、新製品開発です。厳しい時こそ、お客さまと向き合い、その声を次の製品に繋げていく。それが結果として、新しい機械の開発、そしてシェアの拡大につながってきたと考えています。一方で、現実は想像以上に厳しいものでした。とくにリーマン・ショックのときは、売上はほぼ3分の1にまで落ち込み、工場の稼働も止まり、現場ががらんとした状態になったこともあります。そうした中で、最も重視したのは〝人〟でした。地方である高山では、雇用に関する動きはすぐに地域全体に広がります。だからこそ、〝人だけは絶対に手放してはいけない〟という思いが強くありました。給与面では苦しい局面もあり、当時は政府の補助金なども活用しましたが、結果として社員を辞めさせることなく乗り切ることができました。
 ― リーマン・ショック時は、本当に苦しい時代だったと思います。工場の稼働が止まった時は、どのように時間を使いましたか。
和井田 開発のスピードを高めたり、人材育成などに時間を使いました。当社が最も大切にしているのは、いわゆる〝擦り合わせ〟の技術です。先輩から後輩へ、技術を直接伝えていく。残業はありませんでしたが、給与は守り、人も守りました。そしてその間に、次の成長に向けた土台づくりに注力しました。

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