さようならテープ

私は若い頃、テープおこしのバイトをしたことがあります。
録音した座談会やインタビューを、そのまま文字にする・・・というアレです。

もちろん新聞社時代も雑誌時代もこのテープおこしはお仕事の一環でした。お陰さまでテープおこしをさせたら、そのスピードに誰もが追随できない速さを誇ります。
テープに録音した会話を文字にして、そこから原稿を起こすという律義なやり方も時には必要ですが、通常、このような“録音装置”は原稿を書くため、記憶を呼び起こすツールとなっています。残念ながらメモだけじゃ字が汚すぎて読めない場合が多く、しかも己の記憶がまったくアテにならないのですから、このようなシロモノに頼るしかありません。

今ではすでに記者のほとんどがICを利用していますが、時代に取り残されたテープタイプを私はこの上なく愛していました。というのも、ICレコーダーが市場にお目見えした当初、新しいモノ好きの私は真っ先に飛びついて購入したのですが、流れるように原稿が進まず苦戦したのです。今のように再生スピードを切り替えるという仕組みもありません。指先ひとつで巻き戻しのキュルキュル音を判断し、会話の流れが瞬時に分かるのもテープタイプならでは。このお陰で流れるように仕事を処理することができていたのです。

♪ 邪魔する奴は指先ひとつで~、ダウンさ~(←北斗の拳のオープニング曲)って感じでしょうか。

ところがこのICには巻き戻しや早送りが指先ひとつというわけにはいきません。ちょっと戻したいのがドバーっと戻ったりと・・・・あああ、もう、イライラするっ! という理由がテープタイプに執着した理由のひとつですが、今ではとうとう記者会見場でテープタイプを持つ記者は私一人しかいなくなりました。

何度も過去、「本当に一人で原稿書いてるの?」と尋ねられたことがありますが、私は営業でもあり記者でもあります。素早く大量の原稿を処理しなければ、営業には回れません。本当にテープタイプはいい仕事をしてくれました。私は常にテープと片時も離れず、そしてカッコいい最新型に乗り換えるような浮気心も起こさず、真面目な仕事ライフを送っていたのです。

ところがとうとう来る日が来てしまいました。
もうご老体ですので、鈍いうえ、急に動かなくなってしまうこともしばしばありました。そんな時、私は「ほらっしっかりせんか!」と、こともあろうにこの老体テープを叩いたりして無理やり動かしていたのです。鬼のような私の仕打ちにテープは怒り出したように急激に大音量を放出して私の耳を困らせましたが、なんとか動いてくれていました。きっと頑張っている私の期待に応えようと最後の力をふり絞っていたに違いありません。

ある日、いつものように机にご老体を置き、スイッチを入れてみても動きません。私はいつものようにテープをペシペシと叩きました。

「どうした! テープ! 起きて! 起きてよ~、もうちょっと頑張ってよ!」
テープはとうとう私の問いかけに応えてくれることはなくなりました。

最後の最後まで力の限りを振り絞り、私に貢献してくれた録音テープ。
私は、長年連れ添ったパートナーを亡くし、悲しみに暮れたままビッグカメラへ向かいました。そうして新しいパートナー、“IC男(アイシーオーと命名)”を見つけ出しました。
まだ慣れないのですが、うんと可愛がってやろうと思います。